江戸の庶民は何をして食べていたのか、と問うと、答えが一つに定まらない。この町には、名前のついた仕事が驚くほどたくさんあった。魚を担いで売る者、土を掘る者、髪を結う者、背中を流す者、灰を買って回る者、蝋燭の滴を集めて回る者。百万人が密集し、そのほとんどが自分で米を作らない都市では、他人の手間を銭で買うという行為が生活のあらゆる隙間に入り込む。隙間があれば、そこに商売の名がついた——それが江戸の稼ぎの世界である。以下、稼ぎの目安を挙げていくが、金額はいずれも時期・地域・史料によって大きく振れることを先に断っておく。
組しくみ① なぜ職業の種類がこれほど多かったのか
近世の職業の幅を今に伝える書物がある。元禄3年(1690)に刊行された『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』は、公家・武家から職人・商人・芸能・雑業まで、数百種の生業を図と短い説明で並べた事典である。文化3年(1806)頃に成った鍬形蕙斎の『職人尽絵詞(しょくにんづくしえことば)』(国立国会図書館蔵)は、江戸の諸職を絵巻に描き出した。そして江戸の記録の中でも群を抜いて生活に詳しい喜田川守貞の『守貞謾稿』には、商売ごとの姿かたち、売り声、値段が延々と書き留められている(確度★★★)。
種類が増えた理由は、都市の構造にある。
- 人口の密度 — 江戸の人口は町方だけで50万人前後、武家等を含めれば百万人規模とされる。同じ商売でも、客が路地一本ぶんいれば成り立つ。
- 米を作らない都市 — 食べるものも着るものも燃やすものも、すべて外から入って人の手で配られる。棒手振りという配達網が成立したのはこのためだ。
- 元手が要らない仕事が多い — 天秤棒一本、包丁一挺、剃刀一本。初期投資が小さい仕事ほど、参入する人間が多く、細かく分かれる。
- 修理と再生に値がついた — 鋳掛屋(いかけや)、研屋、箍屋(たがや)、雪駄直し——壊れた物を直す商売が、それぞれ別の名を持って路地を流す。捨てるものが無かった町では、直す仕事そのものが職業になった。
- 身分の枠が職業を固定した面と、しなかった面 — 身分は世襲を原則としたが、町人の内部では商売替えは珍しくない。今日棒手振り、明日は日雇い、という移り方も現実にあった。
組しくみ② 担ぐ・運ぶ — 元手のいらない仕事
もっとも参入しやすかったのが、身体を使って物と人を動かす仕事である。
- 棒手振り(振売) — 天秤棒の前後に笊や桶を下げ、魚・青物・豆腐・納豆・飴・金魚を売り歩く。仕入れて売った差額が稼ぎで、1日の手取りは数十文から二百文程度という幅で語られる(確度★★)。元手は天秤棒と仕入れ代だけで、その仕入れ代さえ貸してくれる仕組みがあった。詳しくは棒手振りを参照。
- 日雇い・人足 — 普請場で土を掘り、材木を担ぎ、河岸で荷を上げる。1日およそ100〜200文(1文≒25円の目安で2,500〜5,000円)とされる記述が多いが、これは概説書で繰り返し引用されてきた水準であって、単一の相場ではない(確度★★)。仕事は日ごとに拾うもので、明日の分は明日にならないと決まらない。
- 駕籠かき — 町駕籠(四つ手駕籠)は二人一組で担ぐ。賃銭は距離と交渉で決まり、一定の相場を示すことができない。街道筋には公定の駕籠賃を定めた区間もあったが、町中の駕籠は言い値の世界である。法外な値をふっかける者を「雲助」と呼んだのも、この交渉の余地から生まれた言葉だ(確度★★)。
- 飛脚 — 手紙や小荷物を運ぶ。江戸と大坂を結ぶ定飛脚問屋の仕組みは飛脚で詳述するが、実際に走るのは請け負われた人足であり、その手取りは問屋の運賃とは別の話である。町内を回る町飛脚もいた。
- 船頭・水主(かこ) — 江戸は水の都で、堀と川を無数の艀(はしけ)が行き来した。荷を運ぶ船、人を渡す渡し船、それぞれに人手が要る。
この層に共通するのは、収入が天候と景気に直結することである。雨が降れば普請は止まり、魚が入らなければ売るものがない。日銭で回す家計にとって、単価よりも稼働日数のほうが重い変数だった。月に20日働ける月と、15日で終わる月とでは、暮らしの色が変わる。
組しくみ③ 手に職 — 職人の手間賃はなぜ高かったか
日雇いと職人の間には、はっきりした段差がある。大工・左官・鳶・屋根屋・畳屋・建具屋といった建築系の職人は、1日およそ300〜500文(≒7,500〜12,500円)という水準で語られる。棟梁格はこれを上回る(確度★★)。日雇いのおよそ二倍から三倍である。
この差は、三つのものが積み上がって生まれる。
- 年季 — 職人になるには弟子入りして年季を勤める。十年前後を無給に近い条件で過ごし、そこでようやく一人前の手間賃を受け取れる。手間賃の高さは、修業年数の対価でもあった。
- 道具 — 大工なら鉋・鑿・鋸を自前で揃える。道具は資産であり、質草にもなる。道具を失うことは職を失うことに近い。
- 仲間 — 職種ごとの仲間組織が、手間賃の目安や仕事の分配に関わった。幕府公認の株仲間ほど制度化されていない職種もあるが、同業の申し合わせが単価を下支えする構図は共通している。
そして江戸には、職人の仕事が絶えない特殊な事情があった。火事である。大火が繰り返し町を焼いたこの都市では、焼けた後の普請需要が周期的に発生する。大工・左官・鳶にとって火事は災難であると同時に仕事でもあった、という指摘は近世都市史でしばしばなされる(確度★★)。鳶職が火消しを兼ねたのも、建物の構造を知り、高所で働く技能を持っていたからである。
建築以外の職人も数多い。桶屋、樽屋、鍛冶屋、錠前屋、指物師、塗師、経師屋、紺屋、研屋、鋳掛屋、下駄屋、傘屋、提灯屋、人形師、櫛職人。錦絵一枚の裏にも、絵師・彫師・摺師という三種の職人がいる。「職人」は一つの職業名ではなく、数百に枝分かれした技能の総称だった。
組しくみ④ 身ひとつのサービス業と、拾って売る商売
物も作らず、運びもしない。人の身体に触れる、あるいは他人が捨てたものを拾う——この二種類の稼ぎ方が、江戸にはきわめて発達していた。
髪結は、その代表である。男は月代(さかやき)を定期的に剃らねば町を歩けないから、髪結は嗜好ではなく必需の商売だった。客が払う額は1回あたり二十数文から三十数文という水準が挙げられるが、店と時期で差がある(確度★★)。床(とこ)を構える髪結床と、道具箱を提げて回る廻り髪結があり、髪結床には営業の権利が株として売買された例も知られる(確度★★)。床は町の情報が集まる場所でもあり、湯屋と並ぶ社交の場だった。
按摩・鍼は、盲人の職能として制度に支えられていた。幕府は盲人の互助・職能組織である当道座を公認し、検校・別当・勾当・座頭という官位の階梯を認めた。按摩、鍼灸、琵琶や三味線などの音曲、そして金融——座頭金と呼ばれる貸付は、公認の取り立て特権を伴い、社会問題化することもあった(確度★★)。按摩の代金は身体の上下で分けて数十文という水準が引かれることがあるが、相手と時期による差が大きい(確度★★)。夜の町を「あんまァ、上下(かみしも)」と流す笛の音は、江戸の夜の音の一つだった。
湯屋の三助は、釜を焚き、湯を汲み、客の背中を流す男衆である。給金そのものは薄く、実入りの多くは客からの祝儀(垢すり・流しの代金)だったとされる(確度★★)。住み込みで衣食が付くぶん現金が要らない、という奉公の構造もここにある。
そして拾って売る商売。ごみとリサイクルで詳述したとおり、江戸には紙屑買い(使い終わった紙を買い集め、漉き返して再生紙にする)、灰買い(竈や風呂の灰を買う。灰は肥料・洗剤・染物の媒染・酒造に使われた)、蝋燭の流れ買い(燭台に垂れて固まった蝋を集めて溶かし直す)、古傘買い、ぼろ買いがいた。稼ぎは買値と売値の差である。一件あたりの額は小さいが、元手はほとんど要らず、路地を歩けるだけで始められる。江戸の底辺の雇用を吸収していたのは、この回収の商売だったという見方は、近世都市史でしばしば示される(確度★★)。
組しくみ⑤ 女の稼ぎ
ここまで挙げてきた仕事は、その多くが男の職業として語られてきた。だが江戸の庶民の家計は、女が稼がなければ成り立たない。夫の手間賃だけで足りる家は、裏長屋には多くない。そして人別帳の研究では、女が世帯主として記載される店が一定の割合で存在することも知られている。後家、離縁した女、独り身の年寄り。女の稼ぎは家計の補助ではなく、しばしば家計そのものだった。
そしてもう一点、書いておかねばならないことがある。同じ仕事でも、女の手間賃は男より低く見積もられるのが通例だったとされる(確度★★)。これは江戸に限った話ではなく、前近代の労働全般に共通する構造だが、日銭で回る家計にとっては決定的な差になる。夫を失った女が、同じだけ働いても同じだけ稼げないという事実が、質屋通いと講への依存を深くした。
組しくみ⑥ 腕一本の裏側 — 病めば、その日から
「腕一本あれば江戸では食える」という言い方がある。これは半分正しい。元手が要らず、身分の壁が比較的低く、仕事の口は町のどこかに転がっている。国元で食えなくなった者が江戸へ流れ込み、日雇いから始めて何とか暮らしを立てた例は数え切れない。参入の敷居が低いという意味では、江戸は確かに寛容な労働市場だった。
だが同じ構造が、そのまま脆さになる。
- 収入は日単位で立ち、日単位で途切れる。翌月の給料日という概念がないので、蓄えのない者は今日の稼ぎで今日を凌ぐしかない。
- 病めば、その日から収入はゼロになる。しかも薬礼という出費が同時に発生する。稼ぎが止まって支出が増える——家計はこの二重の打撃にもっとも弱い。
- 怪我は職の喪失に直結する。指を落とした職人、腰を痛めた人足。身体が資本である以上、身体の損傷は失業と同義である。
- 年を取れば稼ぎが落ちる。担ぐ仕事も担がれる仕事も、若さと体力に依存している。
- 火事で道具と家を一度に失う。職人にとっては商売道具の全損である。
これを受け止めたのが、制度ではなく人の集まりだった。長屋の大家と店子、町内の自治組織、同業の仲間、そして講——無尽講・頼母子講のような掛金を出し合って順に受け取る仕組みが、病と弔いと火事を凌ぐ緩衝材になった。質屋は、その日の食い扶持を出すための最短の窓口である。江戸の庶民は貯めなかったのではない。日銭で回る構造では、貯まる前に出ていったのである。
今江戸と今 — 日払いは消え、また戻ってきた
江戸の稼ぎ方を現代から見ると、二つの方向で変化が起きている。
一つは月給と社会保険の成立である。近代の工場労働と官公庁の給与制度が月払いを標準にし、やがて健康保険・年金・労災といった仕組みが、「病めば収入が止まる」という江戸の最大の脆さに正面から手を当てた。江戸の講が担っていた相互扶助を、制度が肩代わりしたと言い換えてもいい。血縁と地縁と同業の仲間に依存していたリスク分散が、国家の制度へ移った——これが近代の労働史のもっとも大きな変化である。
もう一つは、その反転だ。日払い、単発、成果連動という働き方が、いま再び広がっている。配達の請負、単発のアルバイト、フリーランス。元手がほとんど要らず、始めるのが簡単で、やめるのも簡単で、そして働けなくなった日の収入がゼロになる。棒手振りが仕入れて売った差額で暮らしたことと、構造としてよく似ている。
江戸から引き出せる教訓があるとすれば、それは節約や勤勉の話ではない。参入しやすい仕事は、同じ理由で抜け出しにくいということだ。元手が小さいほど代わりがきき、代わりがきくほど単価は上がらない。江戸で階段を上がるには年季か株が要った。現代でも、技能の蓄積か資格か組織か、何らかの「代わりのきかなさ」を持たない限り、日銭の層から動けない構造は変わっていない。
史同じころ、世界では — ロンドンの街頭商人
細分化された都市の雑業は、江戸だけの現象ではない。19世紀ロンドンの記者ヘンリー・メイヒュー(Henry Mayhew)は、1851年に刊行した『London Labour and the London Poor』で、街頭で稼ぐ人々を職種ごとに聞き取り、記録した。そこに並ぶ職業名は、江戸の読者にはひどく見覚えのあるものである。
- コスターモンガー(costermonger) — 手押し車や籠で青物や魚を売り歩く街頭商人。棒手振りそのものである。
- クロッシング・スウィーパー(crossing-sweeper) — 馬糞と泥にまみれた道路の横断箇所を掃き、通行人の心付けで稼ぐ。
- マドラーク(mudlark) — テムズ川の干潟を漁り、石炭のかけらや金属くずを拾って売る。
- ボーン・グラバー、ピュア・ファインダー — 骨を拾う者、犬の糞を集めて皮なめし業者に売る者。江戸の灰買い・紙屑買いと、原理はまったく同じである。
両者に共通するのは、百万都市が生む廃物と手間に、細かく値段がついていたことだ。都市が大きくなるほど雑業は細分化し、名前を持つようになる。違いは記録の残り方にある。江戸には『守貞謾稿』や『職人尽絵詞』のような観察の書物が、ロンドンにはメイヒューのような聞き取りの記者がいた。細分化された生業は、記録されなければ存在しなかったことになってしまう——という点でも、両者は貴重な対をなしている(確度★★★)。
亜アジアのいま — インフォーマルに稼ぐということ
元手が小さく、日銭で回り、社会保障の外側にある——この働き方は、いまもアジアの都市に広く存在している。バンコクやハノイの屋台、ジャカルタやマニラのバイクタクシー、インドの廃品回収業者(カバディワーラー)、各地の路上での修理業。棒手振りと日雇いと紙屑買いは、地名と道具を変えて現役である。
国際労働機関(ILO)などは、こうした雇用を「インフォーマル雇用」として世界人口の相当部分を占めると推計しているが、定義と推計方法によって数値には幅があり、単一の数字として扱うのは適切ではない(確度★★)。確かなのは構造のほうだ。参入が容易で、収入が日単位で立ち、病めば止まる。江戸の裏長屋で成り立っていた条件が、そのまま並んでいる。
そして江戸と同じく、ここでも支えているのは制度ではなく人の集まりであることが多い。同郷の集まり、同業の互助、家族間の送金。江戸の講が担ったものを、いま別の名前の仕組みが担っている。ただし江戸との違いも大きい。廃品回収の担い手が健康被害を負う問題、配車・配達アプリが単価を握る問題——回収や運搬に値がつくという原理は同じでも、値を決める力の所在が変わった。江戸の紙屑買いは自分で買値を交渉したが、現代の配達員は多くの場合、単価を提示される側にいる。
報広告と評判 — 売り声、看板、そして口入屋
これだけ職業の種類があると、次の問題はどうやって客と仕事にたどり着くかである。江戸の答えは三つあった。
第一に声。棒手振りも回収業者も、決まった節回しで自分を知らせながら路地を流した。「なっとう、なっと〜」「くずい〜、おはらい」「灰や、灰はいらんかね」。按摩は笛を吹き、蜆売りは朝の刻限を告げる時計の代わりにもなった。売り声は、江戸でもっとも安く、もっとも到達率の高い広告だった。予約も貼り紙も要らない。声が届く範囲が、そのまま商圏である。
第二に看板と引札。店を構える商売なら、看板が屋号と扱い品を示し、引札が開店や安売りを町に配る。髪結床のような固定店舗にも目印が要る。ただし担いで回る商売に看板はない。看板を持てるかどうかが、店持ちと担ぎ売りを分ける最初の線だった。
第三に評判と仲介。腕のいい職人の名は、施主から施主へ口伝てで回る。番付という見立ての遊びが盛んなこの町では、商売や職人を格付けした見立番付も作られた。そして仕事そのものを仲介したのが口入屋(人宿・慶庵)である。奉公人や日雇いを求める側と、働き口を探す側を引き合わせ、手数料を取った。身元を保証する役割も兼ねており、これが無ければ人別の裏付けを持たない者は町で仕事にありつきにくい。江戸の労働市場は、口入屋という結節点を通じて動いていた(確度★★)。
裏を返せば、口入屋に断られる者、身元を保証してくれる人間がいない者は、この網の外に落ちる。職業の種類がどれだけ多くても、たどり着けなければ意味がない——江戸の稼ぎの世界は、この一点でも現代とよく似ている。
出典・確度
- 喜田川守貞『守貞謾稿』— 江戸・大坂の諸商売、売り声、職人、髪結、按摩、回収業などに関する詳細な記述。国立国会図書館デジタルコレクションで原本公開 ★★★ [S: 一次史料]
- 『人倫訓蒙図彙』(元禄3年〈1690〉刊)— 数百種の生業を図と説明で並べた近世の職業事典。国立国会図書館デジタルコレクションほかで公開 ★★★ [S: 一次史料]
- 鍬形蕙斎『職人尽絵詞』(文化3年〈1806〉頃、国立国会図書館蔵)— 江戸の諸職を描いた絵巻 ★★★ [S: 一次史料]
- 手間賃の水準(日雇い・人足が1日100〜200文、大工・左官など職人が300〜500文程度) — 概説書等で繰り返し引用される目安。時期・地域・史料により大きく振れ、単一の相場として扱うことはできない。本サイト銭の使い方と同じ水準を採用 ★★ [B: 二次資料・諸説あり]
- 棒手振りの手取りが1日数十文〜二百文程度とされること — 概説の目安。品目・季節・仕入れ値で大きく変動する。本サイト棒手振りと同じ根拠 ★★ [B: 二次資料・幅あり]
- 髪結の代金が1回二十数文〜三十数文程度とされること、髪結床の営業権が株として扱われた例 — 概説・都市史研究で挙げられるが、店・時期による差が大きい ★★ [B: 二次資料・諸説あり]
- 当道座(盲人の職能組織)が幕府に公認され、検校・別当・勾当・座頭の官位を有したこと、按摩・鍼・音曲・金融(座頭金)に関わったこと — 近世社会史の定説。ただし座頭金の実態や規模の評価には幅がある ★★★ [A: 定説]
- 按摩の代金の水準、湯屋の三助の実入りが客の祝儀中心であったこと — 概説・風俗史で述べられるが、具体的な金額を一定の相場として示すことはできない ★★ [B: 二次資料・諸説あり]
- 町駕籠の賃銭が交渉で決まり一定の相場を欠いたこと、「雲助」の語 — 通説として広く語られるが、由来や実態を一次史料で厳密に確定できるものではない ★★ [B: 通説]
- 紙屑買い・灰買い・蝋燭の流れ買い・古傘買い・ぼろ買いなどの回収業 — 『守貞謾稿』ほか一次史料に記述があり、民俗・技術史で広く扱われる。本サイトごみとリサイクルと同じ根拠 ★★★ [A: 定説]
- 江戸の火事と普請需要が職人の仕事量に周期的な影響を与えたこと — 近世都市史でしばしば指摘されるが、定量的に示した研究の結論は一様ではない ★★ [B: 二次資料]
- 女性の内職(縫い物・洗い張り・糸繰り・袋貼り・傘張り・提灯張り等)と、その稼ぎが1日数十文程度とされること — 近世女性史・生活史で扱われるが、品目と出来高による差が非常に大きい ★★ [B: 二次資料・幅あり]
- 女中・下女の給金が年に一両から数両程度とされること — 概説で引かれる目安。奉公先・年季・時期で差が大きく、衣食住が別途支給される点を考慮しなければ比較できない ★★ [B: 二次資料・諸説あり]
- 幕府が女髪結を繰り返し禁じたこと(寛政・文政・天保期の禁令) — 触書・法令集の研究で知られる。国立公文書館デジタルアーカイブに幕府法令の集成が公開されている。ただし禁令の実効性の評価は分かれる ★★ [B: 一次史料に基づく通説]
- 享保3年(1718)に宿場の旅籠一軒あたり飯盛女を二人までとする制限が出されたこと — 街道・宿場史で広く挙げられる。ただし実際には超過が常態化していたとされる ★★ [B: 一次史料に基づく通説]
- 同じ仕事でも女性の手間賃が男性より低く見積もられるのが通例だったこと — 近世労働史・女性史で広く述べられるが、職種・地域ごとの定量的比較は限られる ★★ [B: 二次資料]
- 人別帳に女性世帯主の記載が一定数見られること — 近世都市の人別帳・宗門人別改帳を用いた研究による。本サイト人別帳と無宿と同じ枠組み ★★ [B: 二次資料]
- 口入屋(人宿・慶庵)が奉公人・日雇いの周旋と身元保証を担ったこと — 近世都市史の定説。ただし業態や規制は時期により変化する ★★ [A: 定説]
- 無尽講・頼母子講による相互扶助 — 近世金融史・民俗学で広く扱われる。本サイト質屋と同じ枠組み ★★★ [A: 定説]
- 1文≒25円、1両=4,000文(元禄13年〈1700〉の御定相場)という換算の目安 — 日本銀行金融研究所 貨幣博物館の解説に基づく。米基準・賃金基準で答えが大きく変わることは同館も明示しており、感覚をつかむための目安にすぎない ★★★ [A: 公的機関]
- Henry Mayhew『London Labour and the London Poor』(1851)と、そこに記録された街頭の生業(costermonger, crossing-sweeper, mudlark, bone-grubber, pure-finder 等) — 19世紀ロンドン社会史の基本史料 ★★★ [S: 一次史料]
- 現代アジアのインフォーマル雇用の規模 — ILO等の推計があるが、定義と方法により数値に大きな幅があり、単一の数字として扱えない ★★ [B: 現代資料・幅あり]
- 本記事の「ひと月の試算」および「元手の階段」という整理 — 個々の水準はそれぞれ出典に基づくが、この組み合わせと並べ方は本サイトによる再構成であり、特定の史料の記録ではない ★ [F: 再構成]
本記事の記述は上記出典に基づく。最終確認日 2026年8月26日。 / 出典と確度の管理は資料庫の台帳に集約し、編集・出典ポリシーに基づいて更新する。