江戸の町人が着ているものを見て「みな着物を新調している」と考えるのは、現代の感覚である。実際には逆だった。着物の新調は、庶民にとって年に何度も起こる出来事ではない。反物は高く、仕立てには手間がかかる。だから江戸の衣類流通の主役は、最初から最後まで古着だった。買うときも古着、直すときも自分の手、着られなくなっても捨てずに次の用途へ回す。着るものは、この町でもっとも徹底して使い切られる物資の一つである。
組しくみ① なぜ新品は高かったのか
着物一枚には、原則として反物一反が要る。並幅の織物を、身頃・袖・衽(おくみ)・衿に裁ち分けて縫い上げると、ちょうど一人分になる寸法で織られているのが反物である。つまり着物の値段は、ほぼ布の値段だった。
その布が高い。生糸から絹を織るには養蚕と製糸と機織りの工程が要り、絹物は庶民の手の届く価格ではない。木綿は江戸時代を通じて急速に普及したが、それでも一反を買うのは大きな買い物である。江戸中期以降、三河・河内・摂津・久留米などの産地から木綿が大量に江戸へ入り、麻に代わって庶民の主素材になった。木綿の普及は、庶民の衣生活における最大の技術革新だったと言っていい。肌触りがよく、保温性があり、洗える。麻の単衣で冬を越していた時代とは、快適さが違う。
さらに、庶民が絹を着ることは制度の上でも抑えられていた。幕府は奢侈禁令を繰り返し出し、町人の絹着用や華美な衣装を規制した。享保、寛政、天保——改革のたびに触れが出る。実効性には限界があり、裏地に凝る、地味な色で高価な生地を使うといった抜け道も広がったが、「町人は木綿」という原則は、経済と法の両方から支えられていた(確度★★★)。
組しくみ② どこで買ったか — 古着市と担ぎの古着屋
江戸の古着流通には、いくつもの層があった。
- 富沢町(日本橋) — 江戸の古着問屋が集まった町として知られる。古着市が立ち、地方から買い付けに来る商人もいた。古着はここで仕分けられ、質や種類ごとに値がついて全国へ散っていく。江戸は日本最大の古着の集散地でもあった(確度★★)。
- 柳原土手 — 神田川沿いの土手に、簡素な床見世(とこみせ)の古着屋が並んだ。屋台に近い店構えで、庶民が実際に着るものを買う場所である。値段も安い。夕暮れの薄明かりの中で買うと生地の傷みが見えにくい、といった話も語られる(確度★★)。
- 担ぎの古着屋 — 風呂敷包みを担いで長屋の路地を回る。店に出向かなくても、家の前で選べる。
- 質流れ品 — 質屋で請け出されなかった衣類は流質となり、古着市場へ出る。質屋と古着屋は、事実上ひとつの循環でつながっていた。
- お下がり・貰い物 — 武家屋敷の奉公人が主家から拝領した衣類、商家の仕着せの払い下げ。これらも古着市場に流れ込んだ。
古着がこれほど厚い市場を持てたのは、着物の構造そのものに理由がある。着物は直線裁ちで、身体の形に合わせて曲線に切り抜かない。縫い目をほどけば、ほぼ長方形の布に戻る。だから他人が着ていたものでも、ほどいて縫い直せば別の人の寸法に作り替えられる。洋服が体型に合わせて裁断されるのに対し、着物は誰にでも仕立て直せる設計だった。これが中古品としての流動性を決定的に高めている。
また、損料屋で借りるという選択肢もあった。婚礼や法事のような一度きりの晴れ着、あるいは布団や蚊帳といった嵩張る寝具は、買わずに借りる。持たない暮らしは、狭い長屋では合理的な判断である。
組しくみ③ 家の中の技術 — 洗い張りと仕立て直し
着物は、そのままでは洗えない。縫い合わせたまま水に通せば縮みも歪みも出る。だから江戸の人々は、着物をいちど全部ほどいてから洗った。これが洗い張りである。
洗い張りは、単なる洗濯ではない。着物を分解して組み立て直す定期整備である。この工程を挟むことで、一枚の着物は何度も蘇り、しかもそのたびに別の人の寸法へ移せる。専門に請け負う張り物屋・悉皆(しっかい)屋のような商いもあったが、多くの家では女房の手仕事だった。
色が褪せれば紺屋に出して染め直す。藍で染め重ねれば、褪せも汚れも隠れる。藍が庶民の色になった理由の一つは、この「染め直しがきく」という実務的な性質にある(確度★★)。
組しくみ④ 何枚持っていたか — 寝間着のない暮らし
長屋の住人が持っている衣類は、驚くほど少ない。夏の単衣(ひとえ)、冬の綿入れ、その中間の袷(あわせ)——季節ごとに一組ずつあれば足りるほうだ、という水準である。
そして寝間着という専用の衣類を、庶民は基本的に持たなかった。昼に着ているものをゆるめて寝るか、袖のついた大きな綿入れ、すなわち夜着(よぎ)・掻巻(かいまき)にくるまる。敷布団と掛布団を揃えた寝具が庶民に広まるのは木綿の普及以降で、それでも一人一組とは限らない(確度★★)。日が落ちれば灯油が惜しいので早く寝る暮らしにおいて、寝具はまとめて一枚の綿入れで足りた。
持ち物が少ないことは、季節ごとの質屋通いに直結する。夏が来れば冬の綿入れは要らない。狭い長屋には収納も無く、虫も湿気も火事も怖い。ならば質屋の土蔵に預けて銭に換えておくほうが合理的である。冬が来れば請け出し、代わりに蚊帳や単衣を入れる。質屋が「季節ごとの衣裳蔵」を兼ねていたというのは、こういうことだ。
組しくみ⑤ 布の一生 — 最後は灰になる
着物は着られなくなっても、そこで終わらない。江戸の循環の中で、布はおそらくもっとも長い旅をする物資である。
- 大人の着物 → 傷んだ部分を避けて仕立て直し、子どもの着物へ。
- さらに小さく裁って前掛け・手拭い・巾着・おむつへ。
- 継ぎ接ぎして布団の側(がわ)や座布団へ。木綿の綿は打ち直して何度も甦らせる(綿打ち直しという専門の職があった)。
- 擦り切れれば雑巾、さらに擦り切れれば紙縒(こより)や下駄の鼻緒、あるいはぼろ買いが買い取っていく。
- 最後は燃やして灰になり、灰買いの手を経て肥料や染物の媒染に回る。
この行程のどこにも「捨てる」という工程が現れない。しかもそれぞれの段階に、買い取る商人か、直す職人か、作り替える主婦がいる。循環しているのは道徳の結果ではなく、布に最後まで値段がついていたからである——というごみとリサイクルの原則が、衣類でもっともきれいに成立している。
今江戸と今 — 古着が主役から外れた理由
この体系を崩したのは、機械紡績と既製服である。明治以降、機械で織られた安価な綿布が出回り、やがて洋服の既製品が普及すると、新品を買うほうが仕立て直すより安く早い状況が生まれた。仕立て直しの手間賃を、新品の価格が下回った時点で、洗い張りは商売として成り立たなくなる。
失われたのは技術だけではない。着物という「ほどけば布に戻る設計」そのものが主流から外れた。洋服は体型に沿って曲線に裁断されるため、ほどいても別人用には作り替えにくい。中古衣料の流動性は、この一点で大きく下がっている。
もっとも、需要が消えたわけではない。古着屋・リユース・フリマアプリ・レンタル衣装——形を変えて、江戸の古着市と損料屋は現代にも存在している。近年の衣料品の大量廃棄が問題になるとき、江戸の布の一生が引き合いに出されるのは自然なことだ。ただし江戸に学ぶべきは節約の精神ではなく、「使い切りやすい設計」と「各段階で値がつく市場」の二つが揃って初めて循環が回るという構造のほうである。
史同じころ、世界では — ロンドンのぼろ市
古着で暮らすのは江戸だけの話ではない。18〜19世紀のロンドンにも巨大な古着市場があり、ローズマリー・レーンのラグ・フェア(Rag Fair)やペチコート・レーンの市には、山と積まれた中古衣料が並んだ。パリにもフリピエ(fripier)と呼ばれる古着商が古くから存在する。産業革命以前、布は世界中どこでも高価な資産であり、衣類の中古市場は都市経済の主要部門だった。
興味深いのは、擦り切れた布の行き先である。ヨーロッパでは麻や木綿のぼろ(rag)が製紙原料だった。ぼろを集めて回る業者がいて、紙はぼろから作られていた。19世紀に木材パルプの製紙法が確立するまで、紙の値段はぼろの相場に左右されていたのである。江戸ではこれが楮などの紙を漉き返す方式で、紙屑買いが同じ役割を果たした。布が紙になるか、紙が紙に戻るか——素材の違いが、循環の形を分けている。
そして両者を同時に終わらせたのも同じ力だった。機械紡績が布を安くし、木材パルプが紙を安くし、既製服が仕立てを不要にする。産業革命は、衣類と紙の再生市場をほぼ同時に採算割れさせた。
亜アジアのいま — 世界を回る古着
古着の国際流通は、いまも巨大な産業である。バンコクやジャカルタ、マニラの市場には中古衣料の山が積まれ、選別され、値がつけられて売られていく。日本や欧米で回収された衣類が、東南アジアやアフリカの市場に流れ込む経路も確立している。江戸の富沢町が全国の古着を集めて仕分けていたのと、機能としてはよく似た結節点が各地にある。
そして仕立て直しの技術も現役だ。市場の片隅にミシンを据えた仕立屋がいて、丈を詰め、破れを繕い、別の服に作り替える。直すことが買うことより安い限り、直す商売は存続する。ただし近年は超低価格の新品が流入し、この採算がアジアの都市でも崩れつつある。そして受け入れ先で売れ残った衣類が廃棄物として滞留する問題も、繰り返し指摘されている。江戸の循環が明治に崩れたのと同じ理屈が、いま別の地図の上で進行している。
報広告と評判 — 柄が流行を運んだ
江戸の衣類における最大の広告媒体は、着ている人そのものだった。とりわけ歌舞伎の役者が舞台で身につけた柄は、そのまま町の流行になる。市松模様が佐野川市松の衣装に由来するとされる話や、役者の名を冠した色・柄・結び方が次々に生まれたことは、その象徴である(確度★★、由来には通説の域を出ないものも含む)。
その流行を町へ運んだのが錦絵である。役者絵は現代でいうファッション誌の役割を果たし、髪型、帯の結び、柄行きが図版として広まった。呉服商は引札を配り、店先には正札を掲げて「現金掛値なし」を謳った。三井越後屋の商法が有名だが、これは高価な反物を扱う世界の話である。
一方、庶民の古着屋に広告らしい広告はない。柳原土手の床見世に必要なのは、看板ではなく品揃えと値段だった。担ぎの古着屋は路地で包みを広げ、その場で客の身体に当ててみせる。評判は口伝てで回る——あの店は良い品が出る、あそこは傷を隠す。番付や評判記が娯楽として流通したこの町で、古着屋の評価もまた井戸端の話題の一部だった。
出典・確度
- 喜田川守貞『守貞謾稿』— 江戸・大坂の衣類、古着商、髪型・帯・染色などに関する詳細な記述。国立国会図書館デジタルコレクションで原本公開 ★★★ [S: 一次史料]
- 江戸時代における木綿の普及と、麻から木綿への主素材の転換 — 近世経済史・服飾史の定説。国立歴史民俗博物館ほかの展示・研究で扱われる ★★★ [A: 定説]
- 幕府による奢侈禁令と町人の絹着用規制 — 享保・寛政・天保の改革を含め、繰り返し発令されたことは定説。ただし実効性の程度については評価が分かれる ★★★ [A: 定説]
- 富沢町の古着問屋・古着市、柳原土手の古着床見世 — 江戸の古着流通の中心として広く知られる。『守貞謾稿』ほか江戸案内・地誌類に記述がある。ただし規模を示す具体的な数値には史料により幅がある ★★ [B: 一次史料に基づく通説]
- 古着の価格帯(木綿の古着が数百文〜一貫文程度、絹の新調が数両) — 概説で引用される目安。時期・品質・店により差が非常に大きく、単一の相場としては扱えない ★★ [B: 二次資料・諸説あり]
- 洗い張り(解く・洗う・板張り/伸子張り・縫い直す)の工程 — 服飾史・民俗学で定説として扱われ、民俗博物館等でも実物資料が公開されている ★★★ [A: 定説]
- 灰汁・ふのり等を洗剤として用いたこと、灰の多用途性 — 民俗・技術史で広く扱われる。本サイトごみとリサイクルと同じ枠組み ★★ [B: 二次資料]
- 庶民が専用の寝間着を持たず、夜着・掻巻で寝たこと — 服飾史・住生活史で広く述べられるが、階層・地域・時期による差が大きい ★★ [B: 二次資料]
- 着物が直線裁ちで、ほどけば反物に近い形へ戻るという構造 — 服飾の技術的事実 ★★★ [A: 定説]
- 質流れ品が古着市場へ流れたこと、季節ごとの質入れ・請け出し — 本サイト質屋と同じ根拠。近世都市金融史で広く扱われる ★★ [B: 二次資料]
- 市松模様の名が歌舞伎役者・佐野川市松に由来するとされること — 広く流布する通説だが、命名の経緯を一次史料で確定できるものではない ★★ [B: 通説]
- 「四十八茶百鼠」という言い回し — 江戸の庶民の色彩を語る際に定番として用いられるが、数字は文字通りのものではなく後世の整理を含む表現である ★★ [B: 通説]
- ロンドンのラグ・フェア、パリのフリピエなどヨーロッパの古着市場 — 近世・近代ヨーロッパ社会経済史の定説。同時代の記録(Henry Mayhew ほか)にも現れる ★★★ [A: 定説]
- 19世紀までヨーロッパの紙がぼろ(rag)を原料としたこと、木材パルプ製紙への転換 — 製紙技術史の定説 ★★★ [A: 定説]
- 現代の国際古着流通と、受け入れ地における滞留・廃棄の問題 — 各種報道・国際機関の報告で扱われるが、数量の推計には出典により幅がある ★★ [B: 現代資料・幅あり]
- 本記事における「一枚の布の一生」の並べ方 — 各段階の存在はそれぞれ史料・研究で確認できるが、この順序で一枚の布が辿ったことを示す個別の記録に基づくものではない ★★ [F: 再構成]
本記事の記述は上記出典に基づく。最終確認日 2026年8月26日。 / 出典と確度の管理は資料庫の台帳に集約し、編集・出典ポリシーに基づいて更新する。