江戸の人々は、あらゆるものを番付にした。温泉、料理屋、相撲取り、役者、遊女、諸国の名産、長寿の老人、そして親孝行者まで。東と西に分け、大関・関脇・小結と格を付け、行司や勧進元まで置く——相撲の番付表の様式をそっくり借りて、まるで関係のない対象を並べたのである。これを見立番付という。
組しくみ — 「借りた様式」という発明
見立番付の面白さは、内容ではなく形式にある。相撲の番付は、誰が強いかを一目で示すために洗練された表である。上に行くほど字が大きく、東西に分かれ、序列が視覚的に読める。江戸の版元はこの完成された表を、中身だけ入れ替えて使い回した。読者は説明を受けなくても、字の大きさと位置だけで「これは格付けだ」と即座に理解できる。
作ったのは幕府でも同業組合でもない。多くは版元が独自に企画して売った一枚刷りである。誰が選んだのか、どういう基準なのかが書かれていないものも多い。つまり出典のない格付けだった。それでも売れたのは、読者が「正確さ」ではなく「見立ての妙」を楽しんでいたからだろう。
もう一系統が評判記である。こちらは番付のような表ではなく、対象を一人ずつ論じた冊子だった。役者評判記は歌舞伎役者の演技を批評し、遊女評判記は吉原の遊女を格と芸で論じる。江戸初期から出版が続き、役者評判記は毎年刊行される定期刊行物のような性格を帯びていった時期もある。批評が商品として成立していたわけである。
ただし、評判記が純粋な批評だったと考えるのは危うい。芝居町や遊廓の側にとって、評判記は宣伝媒体でもあった。書き手と対象の距離は近く、費用の出所も明快でないものが多い。現代の広告と記事の境界問題は、この時代からすでにあった。
今江戸と今 — 星の数と、番付表
いま私たちが接している格付けは、ほとんどが数値である。星いくつ、点数何点、レビュー何件の平均。数字は比較しやすく、集計もできる。一方の番付は相対的な位置しか示さない。大関は関脇より上だが、どれだけ上かは分からないし、そもそも点数化されていない。
だが番付には数値にない強みがあった。一枚の紙を見渡すだけで全体の構造が読めることである。誰が上位で、どんな顔ぶれが並び、どの地域が強いのか。ランキングを縦に何百件もスクロールする現代の一覧より、はるかに把握が速い。情報の密度と一覧性で言えば、番付は今でも優れた設計だ。
逆に、江戸の番付から現代が引き継いでしまったものもある。選定基準が示されないまま順位だけが流通するという性質である。誰がどう選んだのかが書かれていない格付けは、いまも珍しくない。番付を「昔ののどかな遊び」と眺めるより、格付けというメディアが最初から抱えていた弱点として見たほうが、この形式の理解は正確になる。
史同じころ、世界では — 批評という商売の誕生
批評が商品になったのは日本だけではない。18世紀のロンドンでは定期刊行の雑誌が書物や演劇を論じ、パリではサロン展の絵画批評が印刷されて流通した。作品を論じる文章そのものが売り物になるという構造は、都市に読者層が厚く積み上がった社会で共通して現れる。
格付けを一覧表にする発想も各地にある。ただし相撲番付のように既存の権威ある表の様式を丸ごと借用して別の対象に適用するという遊び方は、江戸の見立番付に特徴的な面白さだと言ってよい。ヨーロッパの等級表が実用的な分類から出発したのに対し、見立番付は最初から半ばパロディとして始まっている。
なお、料理店の等級を星で示すガイドが登場するのは20世紀に入ってからで、江戸の料理屋番付のほうが100年以上早い。「食べ物屋を格付けして売る」という商売は、江戸のほうが先行していた。
亜アジアのいま — 貼り出される序列
店先や街頭に順位を大書して貼り出す光景は、いまのアジアの都市でよく見かける。屋台の壁に貼られた「今月の売れ筋一位」、市場の入口に掲げられた優良店の一覧、学習塾の成績上位者の氏名掲示。画面の中のランキングとは別に、紙に印刷して物理的に掲げる格付けが、いまも生きた実用として機能している。
江戸の番付も、貼って眺めるものだった。一枚刷りで安く、壁に留めておける。格付けが端末の中で完結せず、町の風景の一部として存在していたという点で、この重なりは形式以上のものを示していると思われる(確度★)。
報広告と評判 — 載ること自体が宣伝だった
番付に載った店は、それを店頭に掲げた。番付そのものが看板になるのである。看板と暖簾が店の存在を示す印だとすれば、番付は第三者による評価の証だった——たとえその第三者が誰なのか分からなくても。
そのため、番付は広告媒体としても機能した。上位に載せてもらうための働きかけがあったかどうかは史料で確かめにくいが、版元と対象の距離を考えれば、まったく無かったとは考えにくい。引札が自分で自分を宣伝する広告だとすれば、番付は他人の口を借りた広告である。効き方が違い、だからこそ強かった。
瓦版が事件を伝え、引札が商品を売り込み、番付が序列を与える。江戸の紙のメディアは、この三つでほぼ役割を分担していた。読者は瓦版で何が起きたかを知り、引札で何が買えるかを知り、番付でどれが良いのかを知った。
出典・確度
- 見立番付(相撲番付の様式を借りた私製の一枚刷り)が江戸時代を通じて多数刊行されたこと — 諸機関のコレクションで多数の実物が確認できる定説 ★★★ [A: 定説]
- 番付・評判記の実物 — 国立国会図書館デジタルコレクションおよび東京都立図書館の江戸関係コレクションで原本画像を公開 ★★★ [S: 一次史料]
- 役者評判記・遊女評判記が江戸初期から継続して刊行されたこと — 近世文学・演劇史の定説 ★★★ [A: 定説]
- 番付の対象が温泉・料理屋・名産・孝行者など多岐にわたったこと — 現存資料から確認できる。ただしどの種類がどれだけ刊行されたかの総量は不明で、現存分は偶然残ったものに偏る ★★ [B: 現存資料からの推定]
- 評判記が宣伝媒体としても機能していたこと — 芝居町・遊廓と版元の近さから広く指摘されるが、個別の費用負担を示す史料は限られる ★★ [B: 通説・史料は限定的]
- 相撲用語が汎用の順位語彙として定着した経緯 — 現象としては明白だが、定着時期の特定には諸説がある ★★ [B: 通説]
- 18世紀ヨーロッパにおける定期刊行物と批評の成立 — 出版史・文化史の定説 ★★★ [A: 定説]
- 「アジアの都市に紙の格付け掲示が残る」という比較 — 本サイトによる観察であり、統計的な裏付けを持つ主張ではない ★ [F: 本サイトの観察]