江戸で本を読むということは、多くの場合、本を買うことではなかった。風呂敷に本を包んで背負った男が、決まった得意先を順に回る。数日から十数日たつとまた現れ、読み終えた本を引き取り、次の本を置いていく。貸し賃は本の値段の何分の一かにすぎない。貸本屋——所有ではなく利用に金を払わせるこの商売が、江戸の読書人口を支えていた。
組しくみ — 店を持たずに本を回す
貸本屋の中心は店舗ではなく行商だった。大きな風呂敷包みを背負い、あるいは天秤で担いで得意先を巡回する。武家屋敷、商家の奥、長屋、湯屋の二階——読む人のいるところへ本のほうから出向いていく。書物問屋や地本問屋(絵草紙屋)が版元・卸として本を作り売るのに対し、貸本屋はその末端で「読む機会」だけを切り売りする小売だったといえる。
取引の単位は冊ではなく期間である。一定の日数を区切って貸し賃を取り、期日に訪ねて別の本と交換する。読者からすれば定額の巡回サービスであり、貸本屋からすれば同じ一冊を何十回も貸し出せる資産だった。だから貸本屋の商売の要は在庫と得意先の名簿にある。誰がどんな本を好み、どの家が次に何を待っているか。この情報こそが元手で、廃業のさいには蔵書と得意先がまとめて譲渡された。
規模については具体的な記録が残る。文化5年(1808)に成立した『画入読本外題作者画工書肆名目集』には、江戸の貸本屋656軒という数が現れる。同じ記録からは仲間が12組に分かれ、行事(世話役)が33人置かれていたことも読み取れるとされる。ただしこれは仲間(同業組合)に把握された数であって、江戸で本を貸していた者の総数と一致する保証はない。数百軒規模という桁は信頼できるが、656という数字を「江戸の貸本屋の実数」として扱うことはできない(★★)。
今江戸と今 — 所有からアクセスへ、二度目の一周
貸本屋は明治になっても消えなかった。むしろ活版印刷で出版点数が増えるにつれ、借りて読む需要も伸びた。公立図書館の整備が進み、戦後には貸本専門の店舗が全国に広がる。1950年代から60年代にかけての貸本漫画は独自の描き手を育て、そこから世に出た作家が後の漫画史を作った。貸本屋が「まだ商業出版に乗らない表現」の受け皿になったという点で、江戸の読本を回していた時代と役割が重なる。
その後、貸本屋はレンタルビデオ店やレンタルCD店に姿を変え、さらに定額制の配信サービスへと吸収されていった。月額いくらで読み放題・見放題という契約は、得意先を回って一定期間で本を交換していく貸本屋の商売と、構造としては同じものだ。違うのは、巡回するのが人ではなく通信であることだけである。所有からアクセスへ——江戸の読者が選んだ道を、現代の読者はもう一周している。
マンガ喫茶やブックカフェも同じ系譜に置ける。棚を共有し、読む時間に対して払う。江戸の湯屋の二階に置かれた本を客が回し読みしていた光景と、機能はよく似ている。
史同じころ、世界では — 貸出図書館の時代
「借りて読む」市場が成立したのは日本だけではない。18世紀のイギリスでは会費制の貸出図書館(circulating library)が各地に生まれ、小説を借りて読む習慣が広がった。ドイツ語圏の Leihbibliothek も同様である。当時の小説は装丁され製本された高額な商品であり、買える人は限られていた。だから読者は借り、書き手はその貸出市場を前提に長い物語を書いた。
興味深いのは帰結の相似である。貸出図書館の存在が、長篇の連作や続きものの小説を経済的に成立させた。江戸で長大な読本が刊行され続けたのと、構図がほとんど同じだ。「一冊を大勢が読む」という流通形態は、洋の東西を問わず、同じ種類の作品を呼び寄せた(★★)。
亜アジアのいま — 貸し借りの棚は残っている
韓国には長く漫画房(만화방)や図書貸与店が街の一角にあり、台湾の租書店も同じ機能を果たしてきた。棚に並ぶのは新刊よりも巻数の多い長編で、通いながら少しずつ読み進める客がつく。江戸の貸本屋が長篇読本を回していたのと、選ばれる本の傾向まで似ている。
東南アジアの都市では、コピー本や古書を扱う小さな露店が同じ役目を担うことがある。本の値段が可処分所得に対して高いかぎり、「借りて読む/回して読む」仕組みは必ず生まれる。貸本屋は江戸に固有の風俗というより、書物が高価な社会に共通して現れる装置である。
報広告と評判 — 流行を運び、統制とすれ違う
貸本屋は本を運ぶだけでなく、評判も運んだ。どの本が待たれているか、どの作者の続きが読まれているかを、得意先を回るなかで日々把握している。版元にとってこれは無償の市場調査であり、読者にとっては「次に何を読むか」の推薦者だった。読み終えた本の余白に感想が書き込まれ、次の借り手がそれを読む——匿名のレビューが本に付いて回る仕組みまで自然発生していた。瓦版が事件を、錦絵が役者と流行を運んだように、貸本屋は物語を運ぶメディアだったのである。
読本の代表として語られるのが滝沢(曲亭)馬琴『南総里見八犬伝』である。文化11年(1814)から天保13年(1842)まで、二十八年にわたって刊行が続いた長大な物語で、これを全巻買い揃えた読者は多くない。読者の大半は貸本屋を通じて巻ごとに接した——と広く説明されるが、読者側の受容実態を示す直接の史料は限られるため、断定はできない(★★)。ただ、巻を追って長期に刊行される作品と、期間を区切って本を交換していく貸本屋の商売とが噛み合っていたことは、両者の構造から見て自然な推論である。
一方で、幕府の出版統制は貸本屋のすぐ隣にあった。享保・寛政・天保と繰り返された改革は、風俗を乱すもの・幕政を論じるもの・実在の人物を扱うものを取り締まり、版元の仲間に事前の検閲を担わせた。天保の改革以降、絵草紙や錦絵には検閲を通した証しとして改印(あらためいん)が捺されるようになる。取締りの主な標的は出版する側だったが、禁じられた本を貸せば貸本屋も咎めを受け得た。統制は摘発だけでなく、版元と貸本屋の自主規制として働いた面が大きい(★★)。
それでも、書かれたものが流通する回路は消えなかった。写本で回されるもの、仲間内だけで貸されるもの、店の奥に置かれるもの。貸本屋の名簿と巡回路は、検閲の網の目をすり抜ける経路にもなった。吉原の細見のように、案内と評判が印刷物として流通する世界と、貸本屋の運ぶ物語の世界は地続きである。読み書きの層を厚くした寺子屋、紙で撒く広告である引札とあわせて見れば、江戸の情報流通が「印刷」「巡回」「口伝」の三層で回っていたことが見えてくる(げい)。
出典・確度
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「文化5年(1808年)以前の江戸において、貸本屋に従事していた人の名前がわかる史料」— 『画入読本外題作者画工書肆名目集』(文化5年・1808)に見える江戸の貸本屋656軒、仲間12組・行事33人という記録 ★★★ [A: 国立国会図書館]/ただしこの数は仲間に把握された範囲であり、江戸の貸本屋の実数と同一視はできない ★★
- 東京都立図書館「江戸・東京デジタルミュージアム — 江戸の本屋/地本・絵草紙屋」— 書物問屋・地本問屋と貸本屋の関係、江戸の出版流通の構造 ★★★ [A: 公立図書館のデジタル展示]
- 江東区深川江戸資料館「資料館ノート」第122号(平成29年7月)— 江戸時代の出版と小説— 貸本屋の営業形態と読本の受容 ★★★ [A: 公立資料館]
- 長友千代治『近世貸本屋の研究』(東京堂出版、1982)/同『江戸時代の貸本屋 — 庶民の読書熱、馬琴の創作を支えた書物流通の拠点』(勉誠出版)— 貸本屋研究の基本文献。本稿の商売の型・得意先名簿の位置づけはこの系統の研究に依拠する ★★★ [A: 学術専門書]
- 滝沢(曲亭)馬琴『南総里見八犬伝』(文化11年・1814〜天保13年・1842)の読者の多くが貸本屋を通じて接したとする説明 — 出版史の概説で広く言及されるが、読者側の受容を直接示す史料は限られる ★★ [B: 二次資料]
- 享保・寛政・天保の出版統制と改印(あらためいん)による事前検閲、および貸本屋への波及 — 制度の存在は確実だが、貸本屋が実際にどの程度取り締まられたかは事例が限られる ★★ [B: 二次資料]
- 18世紀イギリスの circulating library、ドイツ語圏の Leihbibliothek と長篇小説の関係 — 西洋書物史の概説で広く述べられる。江戸との比較は本稿による解釈である ★★ [B: 二次資料+本稿の解釈]