住 — くらし / 商 — あきない

ごみとリサイクル捨てるものが、ほとんど無い町だった

江戸の循環をよく「エコな社会だった」と称える。だが正確には違う。江戸の人々は環境のために回していたのではない。物が高く、資源が乏しく、直したほうが安かったから回っていた。理念ではなく採算が、この町を循環させていた。

広重『名所江戸百景 水道橋駿河台』。堀と町並みを俯瞰する
歌川広重『名所江戸百景 水道橋駿河台』(安政4年〈1857〉)。この町では捨てるものがほとんど無かった。紙屑も灰も髪も、買い取る商売が別々に立っていた。環境への配慮ではなく、それで食える者がいたから循環した。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

しくみ① 廃物にはすべて買い手がついた

江戸の路地には、廃物を買い集める商売が何種類も回っていた。無料で引き取るのではない。銭を払って買うのである。買値がつくということは、その先に売値がついていたということだ。

  • 紙屑買い — 使い終わった紙を買い集める。漉き返して再生紙(浅草紙などと呼ばれた)にした。江戸の紙は貴重品で、鼻紙一枚まで回収の対象になった。
  • 灰買い — 竈や風呂の灰を買う。灰は肥料・洗剤・染物の媒染・酒造の中和など用途が広く、専門の灰問屋があった。燃やした後の残りかすにまで市場があったことになる。
  • 古着屋 — 江戸の衣類流通の主役は古着だった。新品の反物は高価で、庶民は古着で済ませ、着られなくなれば布団の側になり、雑巾になり、最後は燃やして灰になった。
  • 古傘買い — 傘の骨と油紙を分けて再生。油紙は包装材などに回った。
  • 蝋燭の流れ買い — 燭台に垂れて固まった蝋を買い集め、溶かして作り直す。
  • 樽・桶の再生、羅宇(らう)屋、鋳掛屋、瀬戸物の焼継 — 壊れた物を直す職人が町を歩いていた。
ここが肝: 買い手がつくのは、再生した物に売れる値段があったからである。紙も灰も油も高かった。物価が高く資源が乏しい社会では、直す・再生するほうが新造より安くつく。江戸の循環は倫理ではなく経済で回っていた。

しくみ② 下肥 — 汚物が商品だった

最も徹底していたのが屎尿である。江戸の長屋の惣後架(共同便所)に溜まったものは、近郊の百姓が銭や野菜を払って汲み取っていった。廃棄物の処理にお金を払うのではなく、処理する側がお金を払う——現代とは逆向きの経済である。

汲み取られた下肥は畑の肥料になり、育った野菜が江戸の青物市場へ運ばれ、町人の口に入る。都市と近郊農村を結ぶ、閉じた輪ができていた。百万都市の胃袋を支えたのは、この輪の存在でもある。

値段もついていた。同じ屎尿でも、食べているものが良い武家屋敷のものは高く、質によって値に差があったと伝えられる(確度★★)。取り分をめぐって長屋の大家と百姓、あるいは村同士で争いになることもあった。汲み取り権は財産だったのである。

この仕組みが江戸の衛生を支えた面も大きい。屎尿が路上や川に流れず畑へ運ばれたため、同時代のヨーロッパの都市に比べて水系感染症の条件が異なっていたとする指摘がある(確度★★)。ただし江戸が清潔だったと単純に言い切ることはできず、疫病は繰り返し流行している。

しくみ③ それでも「ごみ」は出た

すべてが再生されたわけではない。売り物にならない塵芥は出る。幕府は明暦の大火の後、ごみを勝手に川や堀へ捨てることを禁じ、指定の場所へ集めさせる触れを繰り返し出した。集められたごみは船で運ばれ、永代島などの埋立てに使われたと伝えられる。

つまり江戸には、ごみ処理の三層があった。①買い手のつく廃物は商人が回収する。②直せる物は職人が直す。③どうにもならない塵芥は、公儀の定めた場所へ集めて埋立てに使う。この町の土地そのものが埋立てで作られてきたことを思えば、ごみさえ都市の材料になっていたことになる。

江戸と今 — 循環が壊れた理由

この輪を壊したのは、道徳の低下ではない。安い新品が手に入るようになったからである。化学肥料が下肥を、機械抄きの紙が漉き返しを、大量生産の衣料が古着を、それぞれ価格で追い出した。直すより買うほうが安くなった時点で、回収する商売は成り立たなくなった。

いま循環型社会が目指されているが、江戸に戻れという話ではない。江戸の循環が教えるのは「回収に採算が合えば、人は勝手に回す」という一点である。デポジット制度、リユース瓶、修理する権利(right to repair)——現代の政策が試みているのは、失われた採算を制度で作り直すことだと言っていい。

同じころ、世界では — ロンドンの塵芥山

19世紀のロンドンにも廃品回収の生業は数多くあった。石炭の燃え殻を集める「ダストマン」がおり、集めた灰はレンガの材料などに売られて、塵芥の山(dust heap)が資産として扱われた。ディケンズの小説にも登場するほど有名な光景である。テムズ川の岸で残飯や石炭のかけらを拾う「マッドラーク」と呼ばれた子どもたちの姿も記録されている。

ただし決定的に違ったのが屎尿である。ロンドンでは汚物が下水と川へ流れ込み、1858年には悪臭が議会を機能停止させる「大悪臭(Great Stink)」を招いて、大規模下水道の建設に至った。江戸が畑へ運んで商品にした一方、ロンドンは川へ流して公衆衛生の危機を招いた。同じ都市問題に対する、対照的な二つの答えである。

アジアのいま — 回収で暮らす人たち

廃品を買い集めて生計を立てる商売は、いまも東南アジアの都市に広く存在する。ハノイやバンコクでは、天秤棒や自転車で古紙・空き缶・段ボールを買い集めて回る人がいる。彼らの働きは自治体の統計に乗らないが、実際の資源回収率を大きく押し上げている。

ここでも動機は理念ではなく採算である。回収に値がつく限り、人は回す。江戸の紙屑買いと同じ原理が、いまも別の街角で働いている。ただし労働環境や健康被害という問題を伴うことも多く、美談としてだけ語ることはできない。

広告と評判 — 売り声が回収の合図

回収の商売もまた、棒手振りと同じくで自分を知らせた。「くずい〜、おはらい」「灰や、灰はいらんかね」。決まった節回しで路地を流し、住人はその声を聞いて溜めておいた紙屑や灰を持って出る。予約も広告もいらない。声そのものが集荷の通知だった。

この方式は現代にも残っている。廃品回収車のアナウンス、竿竹売り、石焼き芋。音で「いま来ています」を伝えるという広告の最も古い形は、回収という業態と特に相性がよかった。

出典・確度

  1. 喜田川守貞『守貞謾稿』— 紙屑買い・灰買い・古着・修理職などの生業に関する記述。国立国会図書館デジタルコレクションで原本公開 ★★★ [S: 一次史料]
  2. 下肥が有償で取引され、汲み取り権が争いになったこと — 近世都市史・農業史の研究で広く扱われる。ただし価格や質による差は地域と時期で幅がある ★★ [B: 二次資料]
  3. 下肥の循環が江戸の衛生条件に寄与したとする指摘 — 都市衛生史でしばしば言及されるが、江戸が「清潔だった」と断定できるものではない。疫病は繰り返し流行している ★★ [B: 解釈]
  4. ごみの投棄禁止と指定地への集積、埋立てへの利用 — 幕府の触れとして知られるが、年次や運用の細部は史料により異なる ★★ [B: 二次資料]
  5. ロンドンのダストマンと塵芥山、マッドラーク — Henry Mayhew, London Labour and the London Poor (1851) ほか同時代の記録 ★★★ [S: 一次史料]
  6. ロンドンの大悪臭(1858)と下水道建設 — 都市史の定説 ★★★ [A: 定説]
  7. 「江戸は環境に優しいエコ社会だった」とする語り — 循環の事実は確かだが、動機を現代的な環境意識に帰する説明は後付けである。本記事では経済的合理性として記述した [通説への留保]

最終確認日: 2026年8月26日 / 出典と確度の管理は資料庫の台帳に集約し、編集・出典ポリシーに基づいて更新する。

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