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身分と社会「士農工商」ではなかった

「江戸時代は士農工商という厳しい身分制度の社会だった」——長く教えられてきたこの一文は、いま日本の中学校の教科書には載っていない。単に表現がやわらいだのではない。「士農工商」という語が江戸時代の身分制度の実態を表していないと、近世史研究の側から判断されたからである。では、実際の江戸社会の身分はどうなっていたのか。ここから見直していく。

北斎『富嶽三十六景 相州仲原』。荷を担ぐ者、馬を引く者、旅の者が同じ道を行く
葛飾北斎『富嶽三十六景 相州仲原』。荷を担ぐ者、馬を引く者、旅の者が同じ道を行き交う。「士農工商」は身分の序列を示す言葉として使われてきたが、実態とは合わない。実際には武士とそれ以外という線が太く、その下では職と居住地で細かく分かれていた。メトロポリタン美術館蔵。画像: Wikimedia Commons(CC0)

しくみ① 教科書から「士農工商」が消えた理由

教科書会社は削除の理由を公表している。東京書籍の説明によれば、修正が必要になった点は大きく二つある。第一に、当時の社会には武士・町人・百姓のほかに皇族や公家、僧や神官などの宗教者、芸能者、絵師、学者、医者など、さまざまな身分が存在しており、「士農工商」という四語ではそもそも社会の構成を言い表せない。第二に、「武士>農>工>商」というピラミッド型の上下関係として描くことが適切ではない、という点である。同社は「士農工商」を平成12年度版から、関連して「四民平等」を平成17年度版から使わなくなったとしている。★★★

もともと「士農工商」は中国の古典に由来する語で、そこでは職分を並べて「民衆一般」「あらゆる人々」を指す表現として使われていた。上から順に格付けした四段階の身分制度を意味する言葉ではなかった、という理解が現在は主流である。日本で「江戸時代の身分制度=士農工商」という説明が広まったのは明治以降のことで、江戸社会そのものの用語法ではなかった、とされる。★★

これが意味すること: 「士農工商」は江戸時代の史料から取り出された制度名ではなく、後世が江戸社会を説明するために当てはめた枠組みだった、ということである。枠組みを外すと、江戸の社会はもっと入り組んだ姿で見えてくる。

しくみ② 実態は「武士/百姓/町人」+並立する諸身分

現在の教科書がとる説明は、おおむねこうである。支配する側に武士がいて、支配される側の大多数は村に住む百姓と、町に住む町人だった。町人のなかには商人も職人も含まれる。つまり「工」と「商」は別々の身分ではなく、まとめて町方の住人という一つのくくりだった。

そしてこの三つの外側に、系統の異なる身分が並んでいた。朝廷につらなる皇族・公家、寺に属する僧侶、社に属する神職、さらに医者・学者・絵師・芸能者のように、村にも町にも属しきらない人々がいる。これらは武士の下に置かれた階層ではなく、別系統の身分として並立していたと理解される。武士による支配という縦の線は明確にあるが、それ以外の身分どうしに一本の順位表があったわけではない。★★★

身分は生活の場と結びついていた点も重要である。百姓身分であることは村の検地帳に載って年貢を負担することであり、町人身分であることは町に屋敷地を持ち町の負担を担うことだった。身分とは「どの共同体に属し、どの負担を負うか」という所属の問題でもあった——という見方は、村請制や人別帳のしくみを見るとわかりやすい。

しくみ③ 動く身分 — 金で移れた線

身分は世襲が原則だったが、動かないものではなかった。もっとも知られるのが御家人株の売買である。困窮した御家人が家名を実質的に売り、富裕な町人や百姓の子が養子という形をとって幕臣の身分に入る。勝海舟の家は曽祖父が金融で財を成して御家人の株を買い取ったのが始まりとされ、こうした例は幕末に向けて増えたとされる。★★

下から上へだけでもない。武士のなかでも家格による差は大きく、下級武士の暮らしは裕福な町人に及ばないことがあった。村では、地主として力を持った豪農が藩から苗字帯刀を許されて武士に準じる待遇を受けることもあった。逆に、村を離れて人別帳から外れれば無宿となり、身分の枠組みの外に落ちた。

ここから言えるのは、江戸の身分社会は「生まれで一生が決まる硬直した四段の階段」ではなく、原則としては固定的でありながら、金銭・養子・恩典によって現実には線を越える通路が用意されていた社会だった、ということである。ただしその通路は誰にでも開かれていたわけではなく、越えるにはたいてい金が要った。

しくみ④ 被差別身分について

江戸時代には、えた・非人と呼ばれた被差別身分が制度として置かれていた。皮革の処理や刑場の役、清掃や警備といった役目を負わされ、居住地・服装・交際について制約を課され、村や町の住人とは別に把握された。この身分に置かれた人々を、珍しい職能をもつ集団として興味本位に語ることはしない。ここで確認すべきは制度としての位置づけである。

先に触れた教科書記述の見直しでは、この点についても重要な修正が行われている。かつての「士農工商えた・ひにん」というピラミッド図は、被差別身分を社会の最下層=底辺に置いて描いていた。だがこの描き方は適切ではなく、被差別身分は社会の身分秩序の「外」に置かれたと捉えるべきだ、というのが見直しの内容である。差別が軽かったという意味ではまったくない。むしろ、身分の階段の一番下という位置づけよりも、枠の外に置いて扱うという構造のほうが、差別のあり方を正確に示すという判断である。★★★

明治4年8月28日(1871年10月)の太政官布告、いわゆる解放令(賤称廃止令)によって、えた・非人などの呼称と身分は廃止され、身分・職業とも平民と同じとされた。しかしこの布告は原則を宣言したにとどまり、それを実現するための具体的な施策を伴わなかった。呼称が消えても地域社会の差別は残り、平民と同等の税・兵役・就学の義務だけが新たに課されて生活はかえって苦しくなった、という指摘がある。★★★ 部落差別が近代を通じて、そして現在に至るまで問題であり続けているのは、この経緯と切り離せない。江戸時代の身分制度を扱うということは、制度が終わったあとに何が残ったかまで含めて見るということである。

江戸と今 — 覚えやすい図式の危うさ

「士農工商」がこれほど広く定着したのは、四文字で覚えやすく、ピラミッドの図にすると一目でわかるからだろう。整った図式は理解を助けるが、同時に、その図に収まらないものを見えなくする。公家も僧も医者も芸能者も、四文字のどこにも入らないまま説明から消えていた。

これは歴史の話に限らない。「日本人は◯◯」「Z世代は◯◯」といった一枚の図式が、実態を映すより先に人の見え方を決めてしまう構図はいまも珍しくない。教科書から一語が消えるまでに何十年もかかったという事実のほうが、むしろ現代的な教訓かもしれない。

同じころ、世界では — 身分と革命

18世紀のフランスは、聖職者(第一身分)・貴族(第二身分)・平民(第三身分)という三身分の枠組みで語られ、1789年の革命によってその特権が崩された。イギリスでは法的な身分よりも土地所有と階級が社会を規定し、産業革命が新しい中間層を生み出していく。身分をどう区切るかは社会ごとに違い、日本の「武士・百姓・町人+諸身分」もそのひとつの形だった。ヨーロッパが革命や産業化で身分を崩していった時期に、日本は明治維新まで幕藩体制下の身分秩序を保った——という時間差が、その後の近代化の性格にも影を落とすことになる。

アジアのいま — 制度が消えても残るもの

インドではカースト(ヴァルナ・ジャーティ)による差別が憲法で禁じられ、留保制度による是正が続けられているが、社会慣行としての差別は今も課題であり続けている。制度を廃止する法令と、人々の意識や地域社会の慣行が変わることのあいだには、長い距離がある。日本の解放令以後の経緯と重ねると、「制度をなくす」ことと「差別をなくす」ことは別の作業なのだと見えてくる。

広告と評判 — 身分は見た目に出た

江戸の社会では、身分は看板のように表に出ていた。武士の帯刀と月代、町人の羽織、僧の袈裟、髪型と履物、そして駕籠に乗れるかどうか。奢侈禁止令はたびたび身分ごとの衣服や持ち物を細かく規制し、身分を超えた装いを取り締まろうとした。裏を返せば、金を持った町人が武士より豪華な身なりをする事態がくり返し起きていたということでもある。

そしてその「見た目の身分」は、しばしば芝居や浮世絵の題材になった。町人が武士の格好をする、武士が町に紛れる——歌舞伎の変装物が繰り返し人気を得たのは、身分の線が見た目で決まり、かつ見た目なら越えられるということを、当時の観客がよく知っていたからだろう。

出典・確度

  1. 東京書籍「『士農工商』や『四民平等』の用語が使われていないことについて」— 教科書から削除した理由・時期(士農工商=平成12年度版、四民平等=平成17年度版)、諸身分の並立、被差別身分は「底辺」ではなく「外」とする修正 ★★★ [A: 教科書会社公式]
  2. 「士農工商」(Wikipedia 日本語版)— 中国古典に由来し「民衆一般」を指す語であったこと、日本での用法の変遷 ★★ [B: 二次情報・要確認]
  3. 関西学院大学 人権教育研究室「明治四年八月二十八日 太政官布告(いわゆる『解放令』)」— 布告原文 ★★★ [A: 一次史料(翻刻)]
  4. 高知県「『解放令』発布について考える」(人権教育指導資料・PDF)— 解放令が具体的施策を伴わず、差別が存続した経緯 ★★★ [A: 公的機関]
  5. 武士・百姓・町人という基本の区分、村請制と検地帳、町方の負担、無宿の位置づけ — 教科書・事典レベルの定説 ★★★ [A: 定説]
  6. 御家人株の売買、豪農の苗字帯刀 — 事例としては広く知られるが、規模や頻度の定量的把握は史料的制約が大きい ★★ [B: 事例中心]
  7. 身分と装いの対応、奢侈禁止令、変装物の人気 — 傾向としての記述であり、個別の因果は要検証 [C: 解釈]

最終確認日: 2026年8月26日 / 出典と確度の管理は資料庫の台帳に集約し、編集・出典ポリシーに基づいて更新する。

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