江戸の医者には免許が無く、腕の当たり外れは大きかった。だからこそ、医者にかかる前に、あるいは医者にかかる代わりに試せる治療の層が、庶民の暮らしには欠かせなかった。医者にかかるとは多くの場合薬をもらうことであり、その薬は医者を通さずとも、行商や露店や寺社の門前で買うことができた。さらに薬とは別に、按摩・鍼・灸・骨接ぎという手で治す職能が町の暮らしのすぐそばにあった。この記事では、医者の外側に広がっていたこの治療の層を追う。
組しくみ④ 薬という商品 — 薬種商・売薬・置き薬
医者にかかるとは、多くの場合薬をもらうことだった。診察と処方と調剤が分かれておらず、医者が自分で薬を調合して渡す。だから医者の収入は薬の代金と一体で、これを薬礼という。
薬礼に定価は無い。相手の身代を見て加減し、盆と暮れにまとめて包む、という掛け(ツケ)と二季払いの作法が医療にも及んでいた。払えない者からは取らない代わりに、払える者から多く取る。近所づきあいの中で成立する価格である(確度★★)。
薬の原料は薬種商が扱った。大坂の道修町(どしょうまち)が全国の薬種取引の中心で、和薬・唐薬の吟味と流通を担う株仲間が置かれた。ここを通って人参・甘草・大黄といった生薬が全国に散り、地方の薬屋の棚に並ぶ。
そして庶民の医療でとりわけ重要だったのが売薬である。医者を呼ぶ前に、まず売薬を試す。腹痛にはこの丸薬、風邪にはこの粉薬、というふうに、名の通った既製の薬が全国を流通していた。
- 越中富山の置き薬 — 富山藩が保護育成した売薬業で、行商人が全国の家々に薬箱を預け、次に訪れたとき使った分だけ代金を受け取る。先用後利(せんようこうり)と呼ばれるこの方式は、現金を持たない家でも薬を手にできる仕組みだった。代表的な薬に反魂丹(はんごんたん)がある。
- 大和・近江などの配置薬 — 富山だけでなく、大和の吉野・宇陀、近江の日野などにも配置売薬の産地があった。
- 寺社の霊薬 — 参詣の土産として売られる薬。効能書きに神仏の由来が添えられ、旅の道中で買われた。
- 大道の薬売り — 縁日や盛り場で口上を述べながら売る。歯磨き粉、膏薬、目薬など。芸と広告と商売が一体になっていた。
売薬の効能には、今日の目で見れば根拠に乏しいものも多い。だが医者にかかる銭も暇も無い者にとって、売薬は現実的な唯一の選択肢だった。値段が小さく、その場で買え、失敗しても損が知れている。
組しくみ⑤ 按摩・鍼・骨接ぎ — 手で治す職能
薬とは別の系統に、手技の医療があった。按摩、鍼、灸、骨接ぎ(接骨)である。これらは町の暮らしにずっと近いところにあった。
とりわけ按摩と鍼は、目の見えない人の職能として制度的に結びついていた。中世以来の盲人の互助組織である当道座は、検校(けんぎょう)・別当・勾当・座頭といった官位の階梯を持ち、幕府の公認のもとで按摩・鍼・琵琶・三味線などの職を管掌した。障害のある者に職と組織を保障する仕組みが、江戸の身分制度の中に組み込まれていたことになる。
鍼の技術史で外せないのが杉山和一(1610〜1694)である。幼くして失明した和一は、鍼を管に入れて刺す管鍼法を確立したとされ、五代将軍徳川綱吉の信任を得て、江戸に鍼治の講習所を開いた。盲人が学び、盲人が教える教育機関が、十七世紀のうちに公認されて成立していた。
按摩は往診が基本で、夕暮れどきに笛を吹きながら町を流す。呼び止めれば家に上がり、揉んでくれる。代金は一回四十八文とする記述が知られるが、時期と土地で差があり、単一の相場とは言えない(確度★★)。蕎麦が十六文、湯銭が十文という水準に照らせば、按摩は「たまの贅沢」に近い出費である。
骨接ぎ(接骨・整骨)も庶民に身近だった。捻挫や脱臼、骨折は普請場でも長屋でも日常的に起きる。柔術の当身・活法の知識を持つ者が骨接ぎを兼ねることもあり、これも免許のいらない技だった。
今江戸と今 — 市販薬と配置薬は、いまも生きている
売薬という商いの形は、姿を変えながら現代にも続いている。現在の日本の医薬品は、医師の処方箋が要る医療用医薬品と、薬局・薬店で直接買える一般用医薬品(OTC医薬品)に大きく分かれる。OTC医薬品はさらにリスクの大小に応じて第一類から第三類に区分され、医薬品医療機器等法(薬機法)がこの分類と販売方法を定める。江戸の売薬にあった「口上と効能書きだけで売る」自由は、現代では厳格な承認審査と表示規制に置き換わっている。
そして配置薬、いわゆる置き薬は、いまも産業として存続している。富山県は今日も配置薬売業の中心地であり、先用後利の方式そのものは変わっていない。県内外の企業がこの仕組みを維持し、家庭や事業所に薬箱を置いて定期的に集金・補充する営業形態が続けられている。江戸の発明が、形を変えず現代の商習慣として生き残った珍しい例である。
按摩・鍼・灸の側にも制度の跡が残る。現代のあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師は国家資格であり、視覚障害者の職業教育機関がいまも各地にある。当道座が担った「盲人の職能保障」という発想は、形を変えて公的な資格制度と特別支援教育の中に引き継がれている。
史同じころ、世界では — 薬種商とアポテカリー
薬を扱う商人が医療の一角を担うという構図は、同時代のヨーロッパにも共通していた。イギリスのアポセカリ(apothecary)は、本来は薬種を調合し売る商人だったが、実際には診察と処方も行い、庶民にとって医者に最も近い存在だった。1815年の薬剤師法(Apothecaries Act)は、アポセカリに一定の試験と免許登録を義務づけ、薬を売る商人を医療専門職へ近づける画期になった。江戸の薬種商にはこれに相当する法整備が最後まで無かった。
そしてどの国にも、資格の枠外で薬を売る者がいた。市の立つ広場で口上を述べ、万能薬を売るマウンテバンクや、特許薬(patent medicine)と称する既製薬の行商である。効能を誇張し、芸と口上で人を集めるという商法は、江戸の大道の薬売りと機能も見た目もよく似ている。特許薬は19世紀のイギリスやアメリカで一大産業になり、新聞広告の重要な収入源にもなった。
富山の先用後利に相当する仕組みは、ヨーロッパにはほとんど見られない。むしろヨーロッパの薬は都市の薬種商の店先で買うのが基本で、行商人が家々を回って薬箱を預けるという発想は、江戸の売薬業が独自に育てた商法だったといえる。
亜アジアのいま — 漢方のいまと、伝統医薬の市場
漢方の源流である中国伝統医学の薬(中薬・中成薬)は、現代の中国で巨大な産業になっている。中医薬は国の産業政策の対象でもあり、国家中医薬管理局が薬の基準づくりから輸出振興までを所管する。日本の漢方薬の多くも、この中国伝統医学の処方を起源とし、江戸期に日本化されたものである。
世界保健機関(WHO)は2019年に改訂した国際疾病分類の第11版(ICD-11)で、初めて伝統医学に関する章を設けた。中医学的な病名や証(しょう)の概念を国際的な統計分類の中に位置づける試みであり、伝統医薬を医療統計の外に置かないという方針転換を示す。江戸の売薬が効能を口上と経験則だけで語っていた時代から、薬そのものを国際基準の俎上に乗せる時代への変化は大きい。
一方で、配置薬に似た仕組みは現代のアジアの保健政策にも応用されている。現金収入の乏しい農村部で、先に薬を届けて後で代金を受け取る、あるいは共同体単位で薬箱を管理するという発想は、僻地医療の乏しい地域でいまなお実務的な価値を持つ。江戸の商人が編み出した仕組みが、形を変えて国際保健の現場で参照される例である。
報広告と評判 — 効いたかどうかを、確かめる術がなかった
売薬の宣伝は積極的だった。引札に効能書きを刷り、由緒と霊験を並べ、袋にも能書を入れる。大道の薬売りは口上と実演で人を集め、寄席の芸に近い商売をした。だがここで見逃せないのは、効いたかどうかを事後に確かめる手立てが、当時はほとんど無かったという事実である。
今日の医薬品は、対照群を置いた臨床試験で効果と安全性を確かめてから承認される。江戸の売薬にはこの手続きが存在しない。飲んで治れば薬のおかげ、治らなければ元々治る見込みの薄い病だった、という具合に、都合よく解釈することがいくらでも可能だった。治る病は放っておいても治る。この当たり前の事実が、効能の誤認を支える土台になっていた。
加えて、期待すること自体が症状を和らげる働きも見過ごせない。今日でいうプラセボ効果——薬効成分の有無にかかわらず、期待や安心感が体感の改善をもたらす現象——は、当時の売薬の「効いた」という評判の一部を確かに支えていたはずである。効能書きの誇張、口上の巧みさ、寺社の由緒による権威づけは、いずれも期待を高める装置として機能した。
結局のところ、薬の善し悪しも、医者の腕と同じく評判で決まった。番付が医者だけでなく薬にも作られたのはその表れである。「よく効く」という評判が積み重なった薬は売れ続け、そうでない薬は消えていく。効果を検証する制度が無い代わりに、市場そのものが緩やかな淘汰の役を果たしていた、というのが公平な見方だろう。
出典・確度 13件 最終確認 2026年8月27日 ひらく
- 薬礼に定価がなく、身代に応じた額を盆暮れに納める慣行 — 近世の医療慣行として概説書で述べられるが、地域・医家により運用は一様でない ★★ [B: 二次資料・諸説あり]
- 大坂・道修町の薬種商と株仲間による薬種流通 — 近世経済史の定説。薬業史の資料は国立国会図書館デジタルコレクションほかで確認できる ★★★ [A: 定説]
- 越中富山の売薬と「先用後利」による配置販売、反魂丹 — 定説。富山県内の博物館・自治体の公開資料でも扱われる。ただし創業伝承(元禄期の逸話など)は伝説的要素を含む ★★ [B: 制度は定説/創業伝承は伝承]
- 当道座と盲人の官位(検校・別当・勾当・座頭)、按摩・鍼が盲人の職能として制度化されていたこと — 近世社会史の定説。国立歴史民俗博物館など民俗・社会史の研究で広く扱われる ★★★ [A: 定説]
- 杉山和一(1610〜1694)と管鍼法、綱吉の庇護による鍼治講習所 — 鍼灸史の定説だが、管鍼法の考案経緯には伝承的な逸話が付随する ★★ [B: 定説+伝承]
- 按摩の代金「一回四十八文」 — 喜田川守貞『守貞謾稿』ほか近世の風俗記述に基づいて概説で引用される目安。時期・地域による差が大きい。『守貞謾稿』原本は国立国会図書館デジタルコレクションで公開 ★★ [B: 一次史料に基づく目安]
- 現行の医薬品医療機器等法(薬機法)による医療用医薬品/一般用医薬品(OTC)の区分と第一類〜第三類の分類 — 厚生労働省が所管する現行制度 ★★★ [A: 現行制度]
- 富山県における配置薬売業が現在も先用後利の方式で存続していること — 富山県および業界団体の公開情報に基づく ★★ [B: 現行の産業実態]
- あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師が現行の国家資格であること — 厚生労働省が所管する現行制度 ★★★ [A: 現行制度]
- イギリスのアポセカリ(apothecary)が薬の調合・販売と診療を兼ねたこと、1815年の薬剤師法(Apothecaries Act)による試験・免許登録の義務化 — 西洋医学史の定説 ★★★ [A: 定説]
- 19世紀イギリス・アメリカにおける特許薬(patent medicine)の流行と新聞広告への依存 — 医療広告史・消費文化史で広く扱われる定説 ★★★ [A: 定説]
- 世界保健機関(WHO)がICD-11(2019年改訂)で伝統医学に関する章を新設したこと — WHO公式サイトで公表されている現行の分類 ★★★ [A: 公的機関・現行制度]
- プラセボ効果(期待や安心感が体感の改善をもたらす心理生理的現象)に関する一般的な医学的知見 — 米国国立補完統合衛生センター(NCCIH)等の解説に基づく一般的知見 ★★★ [A: 公的機関・一般知見]
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