制 — しくみ / 人 — ひと

農業の実際年貢は米で納めた。だが、稼ぎは米だけではなかった

石高制は、すべてを米で測る制度である。年貢は米建てで課され、大名の格式さえ「加賀百万石」のように米の量で示された。だが、その物差しの下で実際に鍬を握っていた百姓の経営は、米だけでは説明がつかない。肥料は銭を出して買い、作っているのは米ではなく木綿や紅花であることも多く、道具は絶えず改良され、収穫の一部は最初から市場に向かっていた。百姓という身分と村請制の統治についてはすでに別記事で扱った。ここで追うのは、その内側にあった技術と経営——制度の建前と、現場の実態のあいだにある溝である。

『農業全書』の挿絵。稲を刈り取る場面
宮崎安貞『農業全書』(元禄10年〈1697〉)の挿絵より、稲の収穫。作物ごとの栽培法を体系立てて書いた農書が、版本として広く読まれた。技術が口伝から書物へ移ったことが、遠く離れた土地への伝播を可能にした。画像: Wikimedia Commons(CC0)

しくみ① 金肥という発明 — 干鰯・〆粕・油粕

肥料には、もともと二つの種類があった。一つは下肥——町から汲み取ってきた人糞尿や、刈った草・灰など、村の中と江戸の暮らしから出るものを使う自給の肥料である。もう一つが、銭を出して買う金肥(購入肥料)だ。江戸中期以降、この金肥が急速に広がった。

代表格は三つ。紀伊・房総などの海でとれる鰯を干した干鰯(ほしか)、蝦夷地でとれる鰊(にしん)から油を搾った残りかすの〆粕(しめかす)、菜種や胡麻から油を搾った残りの油粕である。いずれも窒素分に富み、とりわけ地力を大きく消耗する木綿栽培では欠かせない資材になった。田畑を肥やすために、遠く離れた漁場や産地から運ばれてきた商品を現金で買う——農業が、村の外の市場経済に組み込まれていく最初の回路がここにある。

金肥を買うには元手がいる。だから百姓は、肥料代を工面するために現金を必要とし、現金を得るためにさらに商品作物を作る、という循環に入っていった。自給自足という言葉から連想される農村像と、この現金依存の肥料経済とは、かなり距離がある。

千歯扱き。櫛状に並んだ鉄の歯で稲穂から籾を落とす農具
千歯扱き(せんばこき)。櫛状の鉄歯に稲を通して籾を扱き落とす。それまで扱き箸で一束ずつ行っていた作業が、桁違いに速くなった。手間が減れば人手が余り、余った手は商品作物や農間余業へ向かう。農具の改良は、そのまま村の稼ぎ方を変えた。画像: Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

しくみ② 農具の改良 — 備中鍬・千歯扱き・唐箕

道具の改良も、この時期の農業を特徴づける。備中鍬(びっちゅうぐわ)は刃が二〜四本に分かれた鍬で、一本刃の鍬より土との摩擦が少なく、粘土質の重い湿田でも深く耕せた。脱穀には千歯扱き——竹や鉄の歯を並べた台に稲穂を通してしごく道具——が使われ、それまでの扱箸(こきばし)を使う手作業に比べて格段に速く籾を落とせるようになった。選別には唐箕(とうみ)が使われる。中国から伝わったとされる送風式の選別具で、羽根を回して風を起こし、籾殻やごみと実った籾とを吹き分ける。

「後家倒し」という異名: 千歯扱きは元禄期(1688〜1704)ごろに登場したとされる脱穀具で、扱箸を使う手作業より何倍も速く籾を落とせた。だが扱箸を使った脱穀は、それまで村の後家(未亡人)など女性の副収入源になっていたとされ、千歯扱きの普及はその仕事を奪ったといわれる。ここから「後家倒し」という異名がついた——という逸話が広く伝わっている(確度★★、伝承的な性格を含む)。

これらの道具は、いずれも一人あたりの作業効率を大きく引き上げた。効率化は労働時間を減らすと同時に、浮いた時間を農間余業や商品作物の世話にまわす余地を生んだ。道具の改良は、単なる省力化ではなく、経営の多角化を支える基盤でもあった。

しくみ③ 新田開発と用水 — 耕地を増やす、水を引く

17世紀を中心に、日本の耕地面積は大きく広がった。幕府・諸藩・村の三者がそれぞれ新田開発を進め、河川の下流域や台地の上に新しい田畑が切り開かれていく。享保期(1716〜36)には幕府もあらためて新田開発を奨励し、町人請負新田のような、商人が資金を出して開発する方式も広まった。ただし新田開発の速度や規模は時期・地域による差が大きく、単一の数字で語れる性格のものではない。

田を開いても、水がなければ米は実らない。用水路の整備と維持は、村どうしの利害が最も鋭くぶつかる領域でもあった。井堰(いせき)で川の水を取り入れ、溜池をつくって雨の少ない時期に備える。上流と下流の村で取水の順番をめぐる争い(水論)は各地で絶えず起き、代官や名主が仲裁に入った。江戸の上水が都市生活を支えたのと同じように、農村の用水は耕地を支える社会インフラだった。

しくみ④ 商品作物への転換 — 木綿・菜種・藍・煙草・茶・紅花

米以外の作物を作って売る——これが、村に現金をもたらすもう一つの回路だった。河内・三河などの木綿、摂津・河内でとれ灯油の原料にもなった菜種、阿波の、出羽最上地方の紅花、駿河や宇治の、陸奥や薩摩の煙草——それぞれの土地の気候と流通条件に応じて、特産品としての商品作物が育っていった。紅花は加工して紅餅(べにもち)にし、藍は発酵させて蒅(すくも)や藍玉に加工してから出荷する。加工の工程が加わるほど、付加価値と現金収入は大きくなる。

こうした商品作物は、百万都市江戸や大坂の市場に向けて流れていった。だが田畑の一部を商品作物にあてるということは、その分だけ自家の食料生産を圧迫するということでもある。凶作の年に商品作物への依存が裏目に出ることもあり、村の経営判断として、米と商品作物の作付け比率は常に揺れ動いていた。

しくみ⑤ 一年の勘定 — 農事暦とお金の出入り

技術と経営がどう噛み合っていたかは、一年の流れで見るとわかりやすい。以下は代表的な稲作農家の一年を、作業と現金の動きの両面から並べたものである(地域・作物構成により大きく異なる、あくまで型としての整理)。

苗代・田植え・畑起こし 苗代を作り、田を耕して田植えをする。畑では木綿や菜種の種を蒔く。金肥を仕込むのもこの時期で、干鰯や油粕を買う代金がまとまって出ていく。
除草・水回し・虫送り 稲の間の草取りは最も過酷な労働の一つとされる。水を絶やさないよう見回りを続け、虫害を防ぐ虫送りの行事も行う。畑では藍や紅花が収穫期を迎え、加工して現金化される。
稲刈り・脱穀・年貢の仕込み 稲を刈り、千歯扱きと唐箕で脱穀・調製する。年貢に充てる分を選り分け、残りを自家消費と販売にまわす。木綿の実綿の収穫もこの時期に重なる。
裏作・農間余業・来年の元手繰り 田に麦などの裏作を蒔き、藁仕事や機織りといった農間余業で現金を稼ぐ。翌年の金肥や種もみを買う元手を、この時期に工面する。

見て取れるのは、現金の出入りが米の収穫時期だけに集中していないことである。肥料代は春に出ていき、商品作物の代金は夏から秋にかけて入り、農間余業の稼ぎは冬を埋める。年貢は年に一度、米で納める。だが家計は一年を通じて、銭で回っていた。

しくみ⑥ 農書というマニュアル — 農業全書・広益国産考

技術は口伝えだけでなく、書物としても広まった。宮崎安貞農業全書』(元禄10年〈1697〉刊)は、諸国を歩いて聞き取った実地経験と中国の農書の知見を組み合わせた、全10巻の実用書である。土質の見分け方から作物ごとの栽培法、肥料の使い方まで具体的に記され、後の農書の手本になった。この本の背景と、農書が「売れる本」でもあったことは百姓たちの江戸時代で扱っているので、ここでは技術書としての中身に絞る。

もう一冊の代表格が、大蔵永常広益国産考』である。天保13年(1842)に刊行が始まり、弘化元年(1844)ごろまでに全8巻の内容が整えられたとされる(刊行の完成時期には諸説あり)。米づくりではなく、地域の特産品(国産)をどう育て、どう加工して売るかに主眼を置いた点が特徴で、大蔵永常は他に『農具便利論』(1822)や『除蝗録』(1826・虫害対策の書)も著している。栽培の技術書から、加工と販売までを見据えた経営書へ——農書の重心が動いていったことがうかがえる。

しくみ⑦ 凶作への備え — 囲籾と救荒作物

現金経済に組み込まれるほど、凶作の打撃も大きくなる。享保・天明・天保の三大飢饉をはじめ、冷害や虫害による凶作は繰り返し村を襲った。寛政の改革(1789〜)では、幕府が諸藩や村に対し、社倉・義倉といった仕組みで穀物を備蓄する囲籾(かこいもみ)を命じている。富裕な者からの拠出でまかなう義倉、村人が広く出し合う社倉と、性格の異なる二つの備蓄が併用された。

作物の面でも備えは進んだ。享保の飢饉(1732)を機に、痩せた土地でも育ち保存もきく甘藷(さつまいも)が救荒作物として注目され、幕府に建議した青木昆陽の名とともに広く知られている。稗(ひえ)や粟(あわ)といった雑穀も、米が不作の年の食いつなぎとして重視された。金肥を買い、商品作物を売るという現金経済の裏側に、こうした備荒の仕組みが常に張られていたことになる。

江戸と今 — 石高というものさしの外側

石高制が米の量だけで農家の実力を測ろうとしたように、現代でも米の生産高やGDPのような単一の指標だけでは、農業経営の実態は見えてこない。現代の稲作農家の多くも、主食用米の販売だけでなく、直売所への出荷や輸出、加工品づくりといった「6次産業化」で現金収入を組み立てている。米だけを作って米だけで食べていく、という農家像は、江戸でも現代でも、実態というより理念型に近い。

もう一つ興味深い対比がある。現代の日本の農業は、化学肥料の原料(リン鉱石やカリウム塩)のほぼ全量を海外からの輸入に頼っている。遠く離れた漁場や産地から金肥を運んできた江戸の農村と、地球の裏側から肥料原料を運んでくる現代の農業は、肥料が外部から現金で調達される資材であるという点で、意外なほど構造が似ている(確度★★、本記事による整理)。

通説への留保: 「江戸時代の農業は自給自足だった」という像は、半分は正しく、半分は実態とずれている。主食の米は自家消費と年貢が中心で、市場を経由しない部分がたしかに大きい。だが肥料は銭で買い、作物の一部は最初から売るために作られ、道具は仕入れ、飢饉への備えさえ制度として組み立てられていた。閉じた自給の世界ではなく、現金と市場に部分的に開かれた経営——というほうが、実態に近い(確度★★)。

同じころ、世界では — 商品作物と農書のブーム

明末の中国、長江下流域の江南デルタでは、綿花や桑(養蚕の飼料)といった商品作物への転換が進み、農民が現金経済に深く組み込まれていた。この地域を含む当時の農業・手工業技術をまとめたのが、宋応星天工開物』(崇禎10年〈1637〉刊)である。宮崎安貞『農業全書』(1697)とはおよそ半世紀の隔たりがあるが、同じ時期の東アジア各地で、実地の技術を書物に整理する動きが並行して起きていたことになる。

アジアのいま — 稲作農家は米だけで食べていない

現代の東南アジアの稲作地帯——タイやベトナムのメコンデルタなど——でも、農家は主食用米の栽培と並行して、輸出向けの契約栽培作物や副業に頼って現金収入を組み立てている。購入した化学肥料や種子への支出は、江戸の金肥と同じく、農業経営における固定費として重くのしかかる。「稲作=自給自足」というイメージは、江戸時代と同じく、現代のアジアでも実態とはかなり食い違っている。

広告と評判 — 肥料の目利きと問屋の看板

金肥にも、良し悪しがあった。油の抜けた古い干鰯や、灰や砂を混ぜて嵩を増した粗悪な〆粕も出回っていたとされる。良い金肥を見分ける目利きは、百姓自身の経験と、仕入れ先である肥料問屋の信用に頼るところが大きかった。地廻りの肥料問屋にとって、看板と得意先との長年の付き合いは、そのまま品質保証の役割を果たしていた。質の悪い肥料をつかまされることは、翌年の作柄と現金収入の悪化に直結する——だからこそ、店の評判は農村にとっても切実な情報だった。

出典・確度

  1. 宮崎安貞『農業全書』(元禄10年〈1697〉刊、全10巻) — 実地経験と中国農書の知見を組み合わせた近世日本の代表的農書。国立国会図書館デジタルコレクションで原本公開 ★★★ [S: 一次史料]
  2. 大蔵永常『広益国産考』(天保13年〈1842〉刊行開始、弘化元年〈1844〉ごろまでに全8巻の内容整備。完成・刊行の細部の時期には諸説あり)、同著者『農具便利論』(1822)『除蝗録』(1826) — 岩波文庫版の解説等で紹介される ★★ [B: 二次資料・刊行時期は諸説あり]
  3. 千歯扱きの普及(元禄期ごろ)と「後家倒し」という異名 — 農具史の概説・辞典類で広く紹介される逸話。伝承的な性格を含み、成立の経緯を直接記す一次史料は確認できていない ★★ [B: 二次資料・伝承]
  4. 備中鍬・唐箕といった農具の改良と普及(近世中期以降) — 農業史の定説として概説書・博物館解説等で広く扱われる ★★★ [A: 定説]
  5. 金肥(干鰯・〆粕・油粕)の普及と、木綿など地力を消耗する商品作物への集中的な施肥 — 近世経済史の定説 ★★★ [A: 定説]
  6. 17世紀を中心とした新田開発の進展と用水路整備、水論の頻発 — 近世農業史の定説。ただし開発の速度・規模は時期・地域差が大きく、単一の数値では語れない ★★★ [A: 定説・地域差大]
  7. 木綿・菜種・藍・煙草・茶・紅花などの商品作物と地域的な産地形成 — 近世経済史の定説 ★★★ [A: 定説]
  8. 寛政の改革(1789〜)における社倉・義倉を通じた囲籾(備荒貯蓄)の奨励 — 近世史の定説 ★★★ [A: 定説]
  9. 享保の飢饉(1732)を機とした甘藷(さつまいも)の救荒作物としての奨励と青木昆陽の建議 — 近世史の定説 ★★★ [A: 定説]
  10. 宋応星『天工開物』(崇禎10年〈1637〉刊) — 明末中国の農業・手工業技術をまとめた書物として東アジア技術史で広く知られる ★★★ [A: 定説]
  11. 本記事「一年の勘定(農事暦)」および「石高というものさしの外側」の整理 — 特定の一次史料の記録ではなく、上記各項目から組み立てた本サイトによる再構成。実際の経営は作物構成・地域・時期で大きく異なる ★★ [F: 再構成]

最終確認日 2026年8月26日。 / 出典と確度の管理は資料庫の台帳に集約し、編集・出典ポリシーに基づいて更新する。

版 20260827 0207