遊 — あそび / 制 — しくみ

花見と花火桜は植えさせたもの、花火は許したもの。遊興は統治と表裏だった

春は桜の下で酒を飲み、夏は川の上に上がる花火を見上げる。江戸の二大行楽は、どちらも自然に湧いたものではない。上野や飛鳥山や隅田川の桜は、幕府が植えさせたものである。そして花火は、火事に怯える町で幕府が場所と時期を絞って許したものだった。江戸の遊興は、統治の裏側にぴったり貼りついている。

広重『名所江戸百景 両国花火』。橋の上に人が溢れ、夜空に花火が上がる
歌川広重『名所江戸百景 両国花火』(安政5年〈1858〉)。橋の上と川面の舟が人で埋まっている。火事を何より恐れた町が、川の上でだけ火薬を許した——水辺に限ったのは、燃え移るもののない場所だったからである。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
飛鳥山の花見。桜の下に敷物を広げ、人々が集っている
飛鳥山の花見を描いた図。享保期に八代将軍徳川吉宗が桜を植えさせて以降、ここは江戸の代表的な行楽地になった。桜は自然に咲いていたのではなく、幕府が植えさせたものである。画像: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

しくみ — 名所は「できる」のではなく「つくられる」

江戸で最も早く桜の名所となったのは上野である。寛永寺の境内に桜が植えられ、春には人が集まった。ただし上野は徳川将軍家の菩提所を擁する寺域であり、鳴り物や夜間の逗留は認められなかったとされる。行楽地ではあっても、羽目を外せる場所ではなかったのである。

そこで大きな転機となるのが、八代将軍徳川吉宗の享保期である。吉宗は飛鳥山、隅田川東岸の堤(墨堤)、品川の御殿山、武蔵野の小金井といった場所に桜を植えさせ、行楽地として整備したと伝えられる。上野のように制約の多い寺域ではなく、庶民が思うさま騒げる遊び場を、江戸の周縁に複数用意したことになる。

その意図をどう読むかについては、いくつかの説明が並び立っている。都市に密集した人々の鬱屈を発散させる場を用意したという見方、堤に人を集めて踏み固めさせ、治水上の強度を上げる狙いがあったという見方、あるいは単に前代からの行楽地整備の延長という見方である。いずれも決め手を欠き、諸説あるというのが現状の正確な言い方だろう。ただ、名所が自然発生ではなく政策の産物だったという点は動かない。

視点の転換: 「江戸の人々は桜が好きだった」と言うと、好みが先にあって花見が生まれたように聞こえる。だが順序は逆にも読める。幕府が場所を選び、木を植え、行楽地として開いた。その上で人が集まり、酒を飲み、そこに商いが生まれ、やがて「花見といえばあの場所」という文化が定着した。需要が施設を生んだのではなく、施設が需要を育てたのである。

花火の側も同様に、制度が先に立つ。木と紙でできた町が繰り返し焼けてきた江戸で、火薬を扱う遊びが野放しにされるはずがない。幕府は市中での花火をたびたび禁じ、川の上という水に囲まれた場所に限って許した。両国の川開きとは、その限定された許可枠が年中行事として制度化されたものにほかならない。

江戸と今 — 公園と、許可制の火薬

幕府が桜を植えて行楽地を開いた構図は、そのまま近代以降の都市公園の思想につながっている。実際、上野や飛鳥山は明治の初期に公園として指定され、江戸の名所がそのまま公共の緑地へと引き継がれた。権力が用意した遊び場という性格は、名前が変わっても続いている。

  • 場所の指定 — どこで騒いでよいかを行政が決める点は、現在の公園の利用規則や火気使用の制限と同型である。
  • 時期の指定 — 川開きが夏の納涼期間の開幕を告げたように、現代の花火大会も日程が公的に管理された年中行事だ。
  • 安全の裏づけ — 花火の打ち上げが許可制で、消防や警察との調整を前提とする点は、江戸で火薬が水辺に限られたことの直系である。

そして経済の面でも構図は変わらない。花見も花火も、それ自体は無料で見られる。だが人が集まる場所には必ず商いがつく。江戸では茶屋や物売りが、現代では屋台と沿道の店舗が売上を立てる。無料の見世物が、周辺に有料の経済圏を生む——このモデルは江戸で完成していた。

同じころ、世界では — 王の庭が公園になる

吉宗が江戸の周縁に桜を植えていた18世紀前半、ヨーロッパでは王侯貴族の庭園が少しずつ市民に開かれ始めていた。もともと宮廷の私的な空間だった庭園が、時代を追って一般の散策に供されるようになり、19世紀に入ると都市の膨張に対応する公共の公園整備が本格化する。ロンドンやパリで大規模な都市公園が整えられるのは、おおむね19世紀半ば以降のことである。

この順序に照らすと、江戸が18世紀前半の段階で庶民向けの行楽地を複数整備していたことの早さが見えてくる。もっとも、性格は同じではない。ヨーロッパの都市公園が衛生と健康という近代的な理念を掲げたのに対し、江戸の名所整備は治安・治水・行楽が混ざった、より実務的な動機に支えられていた。

花火についても、ヨーロッパの近世は華やかな時代だった。ただしそこでの花火は、王侯の戴冠や講和条約の祝典を彩る宮廷の演出である。国家の威信を空に描く行事だった。それに対して江戸の花火は、川の上で町人が見上げ、掛け声を上げる庶民の見世物として定着した。同じ火薬の技術が、身分の異なる観客の前で違う意味を持ったことになる。

アジアのいま — 火薬の来た道、桜の残った場所

花火の元をたどれば黒色火薬であり、その技術は中国に発する。祝祭で爆竹や火薬の仕掛けを用いる慣行は東アジア各地に広がり、いまも旧正月の中華圏では爆竹と花火が街を満たす。音で厄を払うという意味づけを保った中国圏に対し、江戸の花火は水神祭や供養と結びつきつつ、次第に見て楽しむ興行へ重心を移していった。同じ技術の、意味の分岐である。

桜のほうはどうか。上野公園、飛鳥山公園、隅田公園はいずれも現在も桜の名所として残り、春には江戸と変わらぬ人出になる。江戸の花見の作法——幕を張り、重箱を広げ、無礼講で騒ぐ——のうち、地面に敷物を広げて飲食するという核心部分は、いまも生きている数少ない江戸の身体習慣といえる。

そしてこの習慣は、日本の外へも出ていった。桜の植樹はアジアや欧米の各地で行われ、その多くで「桜の下で集まる」催しが定着している。江戸が政策としてつくった行楽の形式が、いまや国境を越えて再現されている——名所は、やはり植えるところから始まるのである。

広告と評判 — 「かぎや」「たまや」という掛け声

両国の川開きの起源として広く語られるのは、享保18年(1733)に、前年の飢饉と疫病による死者の供養と悪疫退散を祈る水神祭にあわせて花火が上げられた、という話である。ただしこの由来には諸説があり、それ以前から隅田川で花火が上がっていたことを示す記述もある。1733年を「川開きの花火の始まり」として一点に確定することはできず、この年を起点として語られてきたと書くのが正確だろう。

川開きは夏の納涼期間の開幕を告げる行事となり、期間中は隅田川に屋根船・屋形船が浮かび、両岸には茶屋や物売りが並んだ。花火そのものは無料でも、船を仕立て、酒肴を運ばせれば相応の金が動く。花火は、川辺の商いを一斉に立ち上げる季節のスイッチだったのである。

花火を上げる側で名を残したのが鍵屋玉屋である。鍵屋は江戸で古くから続いた花火師とされ、玉屋は文化年間に鍵屋から分かれたと伝えられる。両者が川の上下に分かれて技を競い、観客が贔屓の側に「かぎや」「たまや」と声を掛けた——この掛け声が、現在まで花火見物の慣用句として残った。屋号がそのまま歓声になるという、これ以上ないブランディングである。

火の町の緊張: 玉屋は天保年間に自家からの出火で店を焼き、江戸を追われて一代で絶えたと伝えられる。火薬を扱う商売が、火事を最も恐れる都市で営まれていた——花見と違い、花火はつねにこの緊張の上にあった。幕府が水辺に限って許したのも、掛け声が今日まで残ったのも、根は同じところにある。

なお、江戸の花火は現代のそれとは色が違う。黒色火薬による和火で、橙色を主体とした落ち着いた色合いだったとされる。赤・緑・青の鮮やかな色が加わるのは、明治以降に洋式の薬品が導入されてからである。浮世絵に描かれた川開きの夜空を、現代の色彩で想像するのは、少しだけ贅沢が過ぎるということになる。

出典・確度

  1. 斎藤月岑ほか『江戸名所図会』/喜田川守貞『守貞謾稿』— 上野・飛鳥山・墨堤の花見、両国の納涼と花火に関する同時代の記述。原本画像は国立国会図書館デジタルコレクションで公開 ★★★ [S: 一次史料]
  2. 徳川吉宗による飛鳥山・墨堤・御殿山・小金井への桜植樹と行楽地整備 — 近世都市史・園芸史で広く扱われる定説。ただし植樹の年次や本数は史料により差があり、幕府の意図(治安・治水・行楽)の説明は諸説ある ★★ [A/B: 事実は定説・意図は諸説]
  3. 享保18年(1733)の水神祭にあわせた花火を川開きの起源とする説 — 広く紹介されるが、それ以前の隅田川の花火の記述もあり、起源を一点に確定はできない ★★ [B: 諸説あり]
  4. 鍵屋・玉屋と「かぎや」「たまや」の掛け声、玉屋の断絶 — 江戸の花火史として広く伝えられるが、創業年や分家の経緯には伝承的な要素が含まれる ★★ [B: 通説・伝承を含む]
  5. 市中の花火禁止と水辺への限定 — 江戸の防火政策の一環として定説。関連法令は国立公文書館デジタルアーカイブ所蔵の記録類で確認できる ★★★ [A: 公文書・定説]
  6. 上野・飛鳥山の明治初期における公園指定、現在の桜の名所としての継承 — 東京都建設局ほか自治体の公園・文化財解説 ★★★ [A: 公的機関]
  7. 和火(黒色火薬による橙色主体の花火)から洋薬導入による多色化へ — 花火技術史の概説で一致する説明 ★★ [B: 概説の一致]
  8. 国立歴史民俗博物館東京都立図書館— 江戸の年中行事・名所・盛り場に関する所蔵資料および展示解説 ★★★ [A: 公的機関]

本記事の記述は上記出典に基づく。最終確認日 2026年8月26日。/ 出典と確度の管理は資料庫の台帳に集約し、編集・出典ポリシーに基づいて更新する。

版 20260827 0207